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俺っち74歳、親父にたくさんのありがとうを…

2009.07.05
昨日74歳の誕生日を迎えた。新クラブハウスオープン初日を予定、有志引き連れ泊まりがけで向かい、本日帰る一泊二日だったのに実現できなかった。我が自転車人生初の骨折転倒体験がため、長距離走るどころか皆と一緒に走るにも支障きたす状態ではどうもならず。

物件が浄化槽方式だった下水を直接下水放流に変更後購入を希望、工事費払えばすぐにOKは素人考えで、役場に申請許可得てからの着工で大幅工期遅れ、ケガしなくても7月4日開所は物理的に無理だった。遅れてしまったので準備万端整え8月1日~2日の土日一泊二日でどうせなら盛大にやることにした。

8月1日~2日は考えてみると遠い昔(1945年)俺っち10歳の時、今から64年以前のこの日俺っち家だけでなく八王子市の殆ど全部が焼失、一夜にしてがれきの街に変わり果てたのは戦争末期敵の空襲受けたから。勝利確信した敵米軍は余裕の予告爆撃、B29の大軍が夜襲焼夷弾の雨が降った日で忘れること出来ぬ日だ。

夜遅く待ちくたびれもう来ないだろうから眠れと言われた英雄少年、寝床に入るとすぐの熟睡は10歳の少年だもん無理ないわな、突然『英雄起きろ』の親父の声にびっくり飛び起き、駅方面に照明弾投下で昼の明るさの街中、親父の自転車の後方にマーク母と妹弟達疎開先元八王子に向かう、とはるか前方も爆弾落下で明るくなり行く手阻まれ、逃げ惑う住民たちの中を子供車で親父に続き迷走。

やっと山の中に逃げ場を確保でき、『ここに待ってろと』様子見に出かけた親父が戻るまで隣で親父が背負っ連れてきたお婆が”南無阿弥陀仏ナンマイダ”繰り返すお経を聞きながら、燃える赤い空の色を眺め母妹弟たちは無事か漠然と親父帰るを待った。長男の俺っちがまだ10歳の大家族抱え、孤軍奮闘生き抜いた親父のDNA確り受け継いでいる、安心せい親父よと別世界に向かってつぶやく。

照れがあって、生前生の言葉で伝えられなかったが思い出すと親父がどれほど俺っち愛してくれたか痛いほどわかる、今回の事故も親父が守ってくれたなと瞬時痛感した、キーボード叩きながら涙がとまらないよ。おやじごめん、そしてありがとう、親父に負けぬよう俺っち生涯現役でがんばるわ。
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