ふと思い出した アレコレ
2021.01.16
俺っち来夏で86歳になる。昭和10年八王子市内で誕生小学校入学で開戦、焼夷弾雨霰と落ちる深夜の空襲で逃げ回ったが、食べ盛りの小3の夏に終戦となり、鬼畜米兵の支配下となってしまい、食糧難時代に突入し食物に事欠いたが、大人たちに教え込まれていた鬼畜米兵は全くの嘘っぱちと知った。十年ほど経過し社会が安定した頃、同業知人の沖縄うるま市店舗で知り合った、Giと仲良くなり誘われ渡米してサイクリングを堪能し帰国。米国の地平線の果てまで見渡せる農家で給水受け、中央が道路で180°見渡す広大な土地の左右、それぞれ一人の個人所有地と聞かされ仰天、こんな広大な国と戦争して勝てるわけがないと思った。その頃俺っちも20代後半で健脚だったので、米兵達とあちこちサイクリングしたが、坂になるとバトルを始める米兵達見て、俺っち自慢の登坂脚力でひとまくり決着すると、ジョーク得意の米兵達全員が路面にひれ伏し、俺っちに脚を交換してくださいと告げられ大笑い、何故か人種を超えた仲良しとなった。その後除隊し帰国した彼らに誘われ渡米、サンフランシスコで懐かしの再会となった。
英語が喋れたら、今でも交流続いたと思うが全く分からず、勉強しようとも思わなかったので、残念ながら交流はそれきりになってしまったのが、今となって考えるとちょいと残念よな。サイクリングに熱中してたことから、グアム、シンガポール、コリア等でもサイクルレースに参加、地元の仲間達とちょい交流はできたが、何よりもビックリはロシアの大地を走った事だろうな。ロシアのサイクリストに招かれ、ロシア大使館へビザ取得で向かうと、ビザは用意されてて即受領出来たら、旅行社のスタッフがびっくりして、ぜひその特別ルートを教えて下さいとせがまれたよ。
ツールド台湾で俺たちの渡露を誘ってきたロシアチームのボス、相当の大物だったようなのが通関で判明、その後再度ご招待の意向伝えられたが、ロシアには面白み無く一度で結構でお断り、でも得難い経験ができたと思ってる。返礼でロシアチームの渡日を2回、自費負担で招待したので俺っち的には大失費だったけど。
ロシアでは本日レースという日にレース現場まで向かうと、そこでなるしまどっちが良いかと両路面を指すので、こっちが良いと伝えるや、ポリス数名で高速道路の片側を即封鎖してレース会場よ、残る片側路線で車を交互通行させる荒技交通規制にはビックリしたぜ、独裁国家ってやる事勝手気ままなのね、これって今でも忘れられない体験だわ。
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