4/15 うっかり充電忘れ
2021.04.15
昼飯食べて一休みして後、さて陣馬街道に向かってサイクリングと思うも、Eバイク電池切れに気づき充電せねばならず時間考え断念、それではロードバイクに乗り換え出かけて見るかとなったけど、自力で和田峠越えるはとても無理そうなので、まあ行けるところまでということで家を出た。先ずは甲州街道R20号線高尾駅前右折、霊園の間を抜ける登坂路走るも、本日ロードレーサーなのでアシスト無しなので、哀れ老脚には負担重く急減速でよっこらしよ。河原宿で陣場街道へ左折、夕焼け小焼けふれあいの里でTD小休止。TDって何って?トイレとドリンク俺っちの勝手な造語よ。
コーナー路側に①番号札現れ②番③番と次々続く、路幅狭くなるも車の交通も全く途絶え時折往き交うだけ、陣馬高原下バス停までは自転車天国だった、バスもここまでで狭い路面の登山路に進入するや、勾配急にキツくなり老爺の自力脚力ではここまで、本日Eバイクでもこの先走行無理と判断、即Uターンの好判断?して、今来た道を逆戻りだよん〜
陣馬山は和田峠は海抜700mあり、脚力喪失して登頂無理と判断、高原下から八王子市内の我が家まで、戻っる走りで終わったので、本日走行距離30km程だったが快適、超気持ち良いサイクリングが楽しめ良かった。自力で走るサイクリングがやっぱし最高やな。
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4/12 最近すぐ忘れ思い出せないのよ
2021.04.12
最近頭の中が空洞化してしまったようで、暫時経過するや直前のことが思い出せないことがしばしばある。サイクリング終了帰宅後思い出そうとしても、走行行程も何処で昼食食べたかも判然としないことがしばしばある。本日も数時間サイクリングしたはずだが、行き先の陣馬高原下は辛うじて覚えているが、陣馬高原の何処から折り返したのか、その場所ががいまいちわから無いのよ、次回から走行途中で時折携帯カメラで路面などを撮影して、帰宅後画像眺めて走行ルートを確認し、メモのような短文でも良いので、レポート記入が何よりも必要かと考えた。
善は急げで?先ずは即実行しようと思う。
1目的地、2走行道路、3出発時間、4帰宅時間、5使用自転車の5項目を必ず記載すると決めた。
それと日誌を毎日記載することもグッドアイデアかも‥
先ずは老耄対策案その1
2021.04.10
行き先何処と決めずにEバイクで我が家を出発したのが午後1時過ぎ、帰宅したのが15時半だったので2時間少々走ったことになる。で部屋に入ってライトマップル東京の地図広げ、走ったコース確認するも何じゃ、何処走ったのか全くわからんのよ、すぐに脳内から記憶が無くなってしまうのには往生ですわ。はてどうしたものか考え思いついたのは、要所要所で路面標識を携帯カメラで撮影すれば、帰宅後容易に行程が把握できるのではと気づいた。ツーツーちゃんになってしまったので、次回からこれを是非とも実行してみようと考えている。
本日の走りではっきり記憶に残ってるのは小峰TNと五日市駅前位、昼飯うな重食べたのが街道筋の寿司屋だったが、それが何処だったか、場所も店名も判然としない。陣場街道を走ってトンネルを連続抜けた記憶がある、さて何処でしょうってこれクイズじゃ無いわ、困った状態になって来たよ、その内我が家に戻れなくなってしまったら、自転車も乗れないでわ世も末じゃて、何とかしなければと考えてますが、当の本人は至って呑気なもんですわ・・・
何方か名案ありましたら伝授下さるようお願いしますだ。
今後は対策として立ち寄った店の名前を覚えるに、携帯カメラで映像を残すよう心がけようと考えてます。参ったさんですが考えようによっては、却ってて面白くなったとも言えるじゃん。今後がどうなりますやらがお楽しみだぜ、これじゃ紙芝居の口上だなあ。
4月8日 昨日の老いぼれレポート
2021.04.08
・朝目覚めたら昼近くの11時直前だったのは、昨日E バイク走行の疲労熟睡の結果でして、間も無く老齢86歳の爺さまでは、ま無理無い事なのかと納得しております。その昨日の事とは、陣場街道走って和田峠越えの長距離走行、年老いた今では結構な大仕事になったのよ。難所和田峠を越えR20藤野から相模湖へ出て、駅前の馴染みの喫茶店相模で、昼食ナポリタン食べひと休み後、大垂水峠を避け相模湖畔のR413走って、阿津から太井を左折し三井大橋渡って、津久井湖に下り湖畔のアップダウンを繰り返し、再度R413に合流して川尻で左折、法政大キャンバス横を通り抜け高尾駅脇へ出てから、JR中央線沿いの線路脇道路を走り続け、我が家へ夕刻帰宅した約80kmの行程だった。アシストあるEバイク乗車とは云え、結構な大仕事になったけれど、歳老いた老体ではこれも仕方ないのかな。
たまに路上を走るのではなく、毎日走るようするしたいと考え、トレーニングマシン購入したら、帰宅したらそれが届いてたので部屋に設置。俺っち若き頃のローラー台は大騒音を発生する代物で、近隣の人々が何事かと表に飛び出して来たほどだが、今のそれ(Think Rider)は静寂で隔世の感を痛感。これからは毎日短時間から始め、日課でペダルを回す作業を繰り返し、路上でよろよろ走って自動車族に迷惑かけないよう、安定した走りを体得しようと考えてる。
ローラー台大嫌いだった若年期思い出すと苦笑ものだが、年老いた現実を痛感させられるが、老いぼれよろよろ走りでは無い、シャキッとした走り復活を念頭に努力しよと考えてる、後日結果報告をしますので、はてどうなりますか?お待ち下され皆の衆。
義息と寸又峡温泉へ
2021.04.05
一昨日の土曜日義息に誘われ、大井川鉄道に乗車し寸又峡温泉で一泊昨日帰宅した。その昔鉄道少年だった頃活躍してた、蒸気機関車が牽引する客車に乗車、鉄道旅を堪能して帰宅した。土曜日ということもあって、鉄道沿線には多数の見物客の姿あり、皆さんに手を振り大歓迎されるわ、駅構内に朽ち果てた大昔の客車数両も停車、まさにタイムスリップした感じ受けた。それにしても大井川鉄道さんよ、これ観光弗箱列車なんでしょう、車両を少しは清掃したらどうなんでしょう、TNで煤煙の進入防止で窓閉めるにも、汚れきった窓ガラスには呆れましたな、これではお客に対して失礼でしょう。
千頭駅で降車して路線バスに乗り換え、寸又峡温泉に向かったけど道路幅員が狭小で、交互通行困難な箇所多数あり、先着優先の信号送信してたまさに秘境。その昔体験した節は多数の野猿を目にしたが、なぜか今回は全く目にしなかったけど、あの猿たちは一体どうしたんだろうと不思議に思った。
陸の孤島だったような場所寸又峡は、逃亡した殺人犯朝鮮人金嬉老が立て篭り、英雄気取りでTV画面に顔みせた姿が、日本中に広く報道され、超有名になってしまったけど、もしも何もなかったら今でも、知る人も無い過疎地だったと思うね。
俺っちも今回の訪問で2度目になるけど、もしも事件発生してなかったら、確実に訪問はしてなかったと思う。寸又峡ってそんな場所なのよ。