7/30 近頃ボケ発症の気配あり
2020.07.30
台湾の英雄李登輝元総統が97歳で亡くなった、謹んでご冥福をお祈り致します。俺っちも今月4日に満85歳誕生日を迎え残り人生、目標都する100歳まで後15年になったけれど、我が身体を自己判断すると最近頭脳が?、神さんにつつーう爺ちゃんと言われてるけど、その意味は伝えられた事が頭の中に留まらず、つーと一瞬に通り過ぎ去ってしまうからで。上手いこと言ったもんだなと笑い事では無く、これ本人にとってとてつもなく切実な問題、何とかならないものか最近大変困ってます。
体を動かす自転車の方はeバイクと言う、願ってもない強力な助っ人が現れたので、脚力衰えようとも全く心配無用となったのだが、走行路面を読み取る脳力が超劣化してしまうとどうにもならない。道路標識目にして位置確認できても、この先が何処へ続くのやら、さっぱり分からず困ること暫し、唯一の解決方法は頻繁に走り回ることかもと、ふと気づいたので早速実行してみようかと思っている。
善は急げ明日から即実行じゃ、結果はいずれ証明されるかと思う。義息と次の約束はたまたまeバイクの旅、そのトレーニングも兼ね、明日から自転車乗りまわしてみようかと思っている。年老いるとどうなるか参考にして見てくだされ。明日雨の心配ない事を願い、少年期に戻って良い夢見ようと心弾ませております。では結果報告をお待ちくだされ。
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7/27 青春18切符の旅から帰る
2020.07.27
義息に誘われこの4連休を利用青春18切符で4泊 5日旅、乗車した全ての鈍行列車内は運転席後方を、自分の指定席かの如く立居のまま線路上を眺め、乗り鉄爺さんで過ごしたので帰宅して一夜あけた只今、疲労どっと出てますが心地よい状態。旅初日22日は後方から追走してる義息に先駆け、西八王子駅を先発し次の高尾駅で大月行きに乗換、終日そのまま先行したまま、初泊は上諏訪駅で降車して大きな宿「しんゆ」。
合流した2日目は旅のハイライト、6時間の飯田線乗車のはずが途中不通区間発生、乗車を断念し中央西線周り迂回となり面白味半減、豊橋に出て東海道線浜松コンフォートホテル泊り。
3日目は切符別購入して名鉄瀬戸線に乗車、神社の境内にあるような瀬戸パークホテル泊、昼食はバスに乗車しバス停降り歩き歩いて、やっと辿り着いた鰻屋「とほつあふみ」長蛇の列で予約客立ち並び呼び出しあり、食べた事もない見事な天然うな重食す。
ずっと昔の四国の旅先での思い出だけど、メニューから天然ウナギ注文したら、冷凍庫からパック取り出し調理したのにはがっくりしたっけ。今回は食べるまでバス降りて歩き歩いて、大変な苦労して店に向かったのでくたびれた、名店に案内してくれたのは大感謝、超美味かったけど再度は遠慮するな。とほつあふみって変な店名だなと思ったら、地名遠江のことだった。
4日目は名鉄と愛知環状線乗車は、JRでは無いので別勘定乗車、岡崎に出てからはJR東海道線乗車、豊橋、静岡と乗り継ぎ三島到着。ドーミインホテルに宿泊したが、疲労蓄積したので夕食の外出は遠慮、早寝して疲労回復を願った。
5日目最終日は沼津まで1駅戻り御殿場線乗車を楽しむ、山北には親父の実家があって俺っちも、いっとき疎開させられてた事もあって、懐かしい場所だったが皮肉にも大雨となってしまい、御殿場線の最難所である小山から山北間、時速一桁kmの徐行運転となり、対向路線車両も更に遅れたので、単線なのでドント遅れの国府津駅到着となる。
国府津からの東海道線は横浜で分岐せず、終点東京駅まで向かい中央線に乗り換えた。疲れから車内でひと眠りして、西八王子駅から徒歩帰宅したが、線路脇道歩き家路目指すも方向いまいち、通過車両の行き先表示板眺め躊躇しながら歩く始末、これって呆け寸前なのかも。
7/19 22日から青春18切符の旅を楽しむ
2020.07.19
ここ数日間を掛け浅田次郎の小説「流人道中記 全二巻」を読破するも、さっぱり記憶に残らないストーリーに、ご苦労様にも再読、暇持て余してる爺さんの今日この頃であります。最近老人ぼけ症状顕著で年老いた事を痛感してる、その昔ご無沙汰横町とか、成金横丁などと呼ばれていた、横丁沿いに生まれ育ったけれども、悪ガキ時代に遊び親しんだ友の家が、路面用脇に転々と並び、数えて4軒あるも今は寂しい限りで主達は、全てあの世へ旅立ち誰も遺らず、次はお前さんの番だろうと誘われてる感じすらある。。昔なら次から次と遊びのアイデア生まれ、ひとつに絞るが骨折れたものが、今では先に決めた楽しみの筈だった、長旅旅程も期日近くなると、何故か行く気が全く失せてしまい、行き先宿を次々キャンセルする有様。今も8月に予定した御殿場から、伊豆半島を巡る♨️楽しむ一週間の小旅行、カレンダー記入の文字を抹消、パソコンで各宿に通知とほんと情けない。
8月と9月で都合21泊予定した宿泊宿先、すべてPC上から抹消手続き完了、これからは行きたくなったら直前予約、はたまた現地で飛び込みと決めた。コロナ禍で皆さん動きが少ない今日この頃なら、閑古鳥の宿もごろごろあろうと思うので、これまで経験したこと無い、当日飛び込み宿泊の旅経験も何かの役に立つかも。まずは体験あるのみ、これはこれで楽しいかもな。
で次予定はこの22日から、よく俺っちを誘ってくれる元義息均との旅で、青春18切符使用して上諏訪、浜松、三島、都心と回る鈍行電車の旅、2日目の上諏訪から豊橋に抜ける飯田線の長旅など、とてもじゃ無いけど鉄ちゃんでも、おいそれと付き合えない長旅、ありがたい事よと頭が下がるわ。
7/13 先が見えず走れない
2020.07.13
15日(水)から3泊4日で少年期の頃、半年ほど口減らしで預けられてた、親父の故郷山北初泊から始まり、御殿場から籠坂峠越え、山中湖半廻り平野から津久井を抜け、我が家へ戻る3泊4日のコースを計画、泊まる宿まで予約してたものの、天気が思わしくない模様に宿キャンセル、旅予定を取りやめたが寸前なので、キャンセルペナルティの発生するので、初日宿だけ宿泊体験して我が家に戻ろうと言う、極めてセコイ旅を考えてみたのよ。初泊地が相模原と超近い設定なのは、R20号甲州街道大垂水峠を越え、相模湖駅前老夫婦の切り盛りする喫茶相模で昼食、のんびり済ませ鼠坂越えの津久井湖廻る、遠回りが為で最近乗り込み不足、加えて年齢も85歳越えた老脚では、63年の長〜い乗車体験あれど、とても太鼓判とは断言出来ないので、ここは慎重に道理が引っ込まないよう気配りした。
先のことも考えずGOGOが常だった頃は、遠い昔に過ぎ去って今は過去と断絶、暗く見通せない未来に向けて煩悩してる。
先日満85歳誕生日だった。
2020.07.09
親しかった身近の仲間5人がすべて、あの世に旅立ってしまった。特に最も親しかった1歳年上の師友を、昨年正月に失ったのは応えた。かねてから我が寿命を100歳目標に設定してるので、まだこの先15年あるので有意義に楽しみたい、というのにここ最近の我が体調の悪さは最悪で、いっとき自宅の階段上り下りにも苦労するほどで、気力全く癒えもはやこれまでの感もしてたのよ。どうしてこんな状態におちたのか、我がブログ読み戻しふと気づいた、6月20日から京急EXホテル泊からスタート、久里浜から浜金谷に渡り、定宿岩井コンドミニアム、日だまりINふたま、土気ステーションH、犬吠埼H、ANAクラウンプラザHと千葉県内の旅を続け、更に旅を続ける矢先でサドルバック置き忘れ、急遽失意の帰宅となり家に戻ると、あちこち誘ってくれる義息からの来信あり、開封すると何と明日朝からの旅の誘い、応ずるにはその日のうちに、大宮市まで移動が楽と判断、輪行スタイルから旅行者姿に変身、中央線武蔵野線と乗継いで深夜大宮市内に宿泊したのが午前零時。
原因は、この慌ただしい旅からきた疲労が全てと、たった今気づいた。若者ですら大変な強行軍を遠い昔に還暦を過ぎた、爺が体験したのだから疲労するのは当然事、それに気づかなかったはほんと愚かだったと思う。体調不調が続いてた原因が判明し、これで吹っ切れたので良かった。これでまた運気呼び込んで、気力充実させ残された人生謳歌するぜえ。誰かの言葉を真似て、老爺は死なないと言っておこう。
翌朝8時59分東北新幹線内で合流、目的地男鹿半島を廻り秋田市内Hに泊まり、翌日帰京すると言う慌ただしい旅だった。秋田市と言うとその昔全国行脚してた真夏、丁度お盆の最中ここの街に投宿、夕方映画見物と洒落込んだところ、場内超満員でチビの俺っちには、他人の頭で画面全く見えず、即退館した苦い思い出があるあるわ。
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