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2/23 思いだして思いつき

2020.02.23
今回計画した足柄♨️、御殿場時之栖、富士吉田旅篭屋、羽村ビジネスと神奈川県、静岡県、山梨県、東京都と4都県を移動する 4泊5日ツアー、携帯電話を家に忘れたのを初泊足柄温泉近くで気づき、我が家へ引き返してから各宿をキャンセル、ところが最終泊羽村市のビジネスHだけ、20%もキャンセル料金が派生すると判り、その支払に不満を感じ我が家から宿が近い事から、直行で宿に向かい泊まって溜飲下げようとなり、昨日この宿まで出掛け一夜明かし帰宅した顛末が以下。

羽村市Hで指定された#302部屋に入室すると、窓外に見える隣家がIKE靴店にはビックリ仰天した。半世紀近い昔のことカラー写真が誕生すると、急激にモノクロ写真の需要が激減して、モノクロラボを生業としていた俺っちが、写真業に見切りつけ廃業を決意も、次何するか俺っちに出来ることは何か考えた結果、自分が大好きなサイクルスポーツの楽しさを、多くの皆に伝える事を目標にして、羽村駅前にスポーツサイクル専門店を開業。羽村駅前の新築貸店舗が目に入り、借入店した3軒長屋の商店1軒に賃貸借し出店すると、隣店舗が小金井市内から都落ちしてきた士の靴店だった。

輪界にスポーツ車専門店皆無だった時代に、スポーツサイクル時代の到来を予測、羽村駅前にショップをオープンした俺っちだが、開店1年足らずで立地が都心から遠すぎるのが理由で、店舗を立川市内に移転するや即順風満帆の盛業となり、実弟勇も引き込み自転車兄弟店で、千駄ヶ谷店から神宮店開業で都心へ進出、営業店舗の出店こそは控えたがクラブ支部を、九州臼杵市に端を発し島根県益田市、北海道木古内と札幌市へとサイクルクラブ結成全国展開、なるしまフレンドを全国区に発展させた。

地方クラブ結成後は毎年のように通って、地元の同志と触れ合ったものだが、最近は俺っちも老ぼれ後継者にも伝わるもの無い様子で、地方との交流全く途絶え寂しい限りだが、これも時の流れであって仕方ないものなのかと考えてる‥

これまで自転車人生で二度都心から、遠い九州臼杵市まで走ったけれど、逆戻り走行は全く考えてなかったけど、人生折り返し地点をとうにすぎた84歳、あれこれ考えると思い出は限り無いほどある。焼夷弾雨降る戦時中の空襲下真夏深夜、眠ってる所を親父に空襲だあと叩き起こされ、子供自転車で親父が走る自転車後方マークして、街中から郊外に逃亡した小4生10歳児の真夏から数え、俺っちの自転車走行距離ってどの位になるだろうか、果てしない距離になると思うがこの体験が原点となり、その後のアマチュア自転車選手として活躍できた素地を培ったのだろうと思う。

あれこれ人生振り返りながら、今年は臼杵市から我が家までの逆コース、22日かけ走り続けて終活と決めようかと思っている。22 と言う数字は俺っちが、サイクリングに魅せられた忘れられない年齢で、道中22泊して我が家に戻るツアーを計画するつもりでおります。走るのは楽しいけれどコース検討し、計画する段階がまためちゃ楽しくて、ハマったら止められないのよ。これぞ自転車馬鹿の見本なのかも。
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2/18 携帯忘れで旅がパー

2020.02.18
昨日は足柄〜御殿場〜富士吉田〜羽村と4泊するシングルツアー初日だったが、初泊地足柄いこいの村近くでhp忘れた事に気づき、旅の全データーが携帯電話内に収録してあり、これが手元に無いとツアーも成り立たず、戻る以外に方法無く足柄手前から引き返す、と言う散々な1日となってしまった。

本日の走りは最初からツキが無く、当初向かったヤビツ峠で行き先道路通行止め、標識目にして引返しに端を発した。気付けば走ったこともない路面を走行しており、道路案内標識板確認しながら松田方面に進行中、行き先地番の確認と背中ポケに手を伸ばすと、大事な携帯電話が無いことに気付いた。何時もの感触でこれは本日の旅は、取り止めなさいとの守護神からの啓示と即断自宅への引返しを決意した。

帰路途中高速入り口へ間違え侵入を気付いて停車、はてどうしたものか思案してると、公団パトカー現れ誤認進入でパトカー呼ばれる、住所氏名年齢問われ高年齢を確認した職員、以後の丁重な応対には少々恐縮したわな。金網に囲われ脱出不能な場所だったが、職員の電話連絡で隣接会社の扉が自動開閉され、一般道路に脱出できると家路への周辺地理、脳内から呼び起こすは一瞬ですむ。

しかし拘束時間長かったので夕暮れも近く、橋本に出る頃には暗くなり夜道に変わる、周辺暗くなると方向痴の発症が常、我が家帰着迄が大変となり往生したわ。長距離走行でバッテリー残量1%になると、アシスト切れとなり完全自力走行に切り替わるのを初体験、自転車が重くなること想像を絶する状態で、夜道をあちこち迷走させられての帰還となったが草臥れましたで。

餅一切れ口にしただけ朝食のあと終日、飲まず食わずでただ走るだけ120kmも走らされ、突然の帰宅となった俺っちに、あんた携帯忘れたのにすぐ気付いたけど連絡方法思いつかず、ただただ気付いてくれるを願うだけだった、と言う神さんの言葉はその通りだと思う。

これって何か名案ありますかね〜







2/16 次の旅は明後日から(細部追加訂正)

2020.02.16
昨日土曜ラン僅か走行60km走っただけなのに、心地よい疲労感あり体が年老いてる事が実感させられる。

明後日から3泊4日Eバイクの旅に出かける。全行程は250kmで3日目は100km越えるので、今の俺ちには少し強行軍になる。初泊はいこいの村足柄あしがら温泉¥20900,に泊まり、2日目は御殿場の時之栖¥7500.泊まり。最終3日目は青梅のかんぽの宿希望も、残念相方無しでは受付してもらえず、瀬音の湯泊まり¥11000.を断念羽村のビジホに変更、翌日の亀ランへ直行参加する予定。

最近は地球温暖化で冬でも雪降らず、と言っても富士の裾野籠坂峠1104m越えは、やや気になったので調べるも、何の問題も無さそうで決行して見ようとなった次第。

親父の実家が足柄上郡だったことから、食料不足が深刻だった少年期のいっとき、山北町の小学校に留学させられ、酒匂川で遊びまくり周辺散策の思い強烈、特に御殿場駅から山北駅までの線路沿い20kmを、月夜のひと晩歩き通した小六年生時の経験は、以後頑張れば道は開かれる確信となって、人生にどれほど役だったか計り知れない。

俺っちと同い年の野村克也84歳が数日前亡くなったが、100歳目標にしてる俺っちにはまだ15年残り人生がある、大事に楽しみ過ごしたいと思っている。野村の場合は歳上の奥方に先立たれたのが、何よりも痛手だったかと思うけれど、俺っちの場合は神が8歳年下なので、目論み通りことが運べる気配濃厚なので安堵してる。

男って年老いて連れ合いを失うと、如何にもならない生き物なのです。



2/12 昭島へ映画観に行く

2020.02.12
生まれ育った我が街八王子市は人口60万人もの大都市なのに、市内に映画館が1館も無いという、呆れた文化程度の低い街で、映画見るには隣町の立川市か、昭島市へ向かうことになるとは残念至極。で本日評判の韓国映画パラサイト観たくて、雰囲気大好きなモリタウンに映画館がある、昭島市へEバイクに乗車し昼飯時に我が家をでたのよ。

我が家を出るとすぐR20を横断して、北へR16直行稲荷坂越える、東京オリンピックロードレースコースよ。左入十字路信号手前増田屋で、昼食ご飯小盛りに頼み天丼¥800.を、注文食べたが美味しかったよ。

食後拝島橋渡り左折するR16と別れ、そのまま路面直進JR青梅線踏切を横断、右方へ曲がって進行すると雰囲気バッチリのモリタウン。勝手知ってる駐輪場にジャイアントEバイクを駐輪、切断不能の御太い鍵掛け映画館へ向かう。館内超満員で空席は最前列だけ、ど真ん中の席指定で腰掛けたが、いやはや超見難かったなあ、普段最後方で立ち見が好きなのだが、すでに上映始まっており館内暗くて、自由徘徊できずが残念だったな。

アカデミー賞受賞作品でさぞや見応えありやと、期待大きかったが残念ながら全く面白くなかった。パラサイト半地下の家族¥1200.映画終わり照明点灯したら、ほぼ満員の観客殆どが女性客にあれ❓でどうしてなのかさっぱり解せない。俺っちとしては無駄な時間と¥1200.捨てたようなものと思ってるのに何でなの。

往路R16直進で走行コース全く面白く無し、映画も面白く無しだったので、帰りは道の駅滝山からトンネル抜け、帰宅した走りが少し楽しめたのが僅かな救い。


2/11 トンボ帰りの旅

2020.02.11
計画したツアー行程が上溝、御殿場、青梅の3泊4日で御殿場から、籠坂峠越えで青梅に向かってるはずの旅だったので、旅程中止で我が家に戻ったのは正解かと思う。若ければ行け行けドンドンで、滅多無い体験と楽しんでたかもと思うが、何せ80歳をとうに越えた爺さまじゃあ笑われるからな。

やはりこうなるとボケが始まってますなあ、雪が少ないとはいえ真冬2月11日、建国記念日に富士の裾野須走を通り抜けるは、年寄りのやる事ではない。初泊の上溝の宿で気づき予約宿キャンセル、我が家に戻ったが正解だったと思う。何時もの愛用してたロードバイクだったら、バス、タクシーでの輪行移動も考えられたけど、全く分解できないEバイクではそれにも対応できないからなあ。

田名から相模川を高田橋で渡り愛川町、半原越宮ヶ瀬ダムトンネル連続する湖畔路、休日でライダー多数休憩する、鳥居原ふれあいの館を横目に素通り、青野原へは道路崩壊で全面交通止め、三ケ木から相模湖へ向かい馴染みの相模で昼食。R20を我が家と逆方向に向かい、藤野からr522r521で標高700m和田峠越え、狭い山岳路陣馬街道で我が家へ向かった。

持参忘れと思ってたEバイクの鍵、実はサドルバック内に収納した、充電池類と共に大事に包装されてた。大事に保管しながら、その事を忘れてしまうのだから処置無し。ふといつも見てる電車の運転手真似て、指差し点呼を俺っちも実行してみようかと考えた。


2/8 明日から3泊4日のEバイク旅

2020.02.08
今年年頭にEバイクとロードバイクの二刀流を宣言したけど、新計画Eバイク3泊4日旅を明日から始めるつもり。

今回の旅はまず隣県神奈川と静岡県下で2泊を過ごしてのち、都下の青梅市かんぽの宿に投宿する3泊4日の旅。初日の宿は神奈川県相模原市上溝と近隣、2日目が静岡県御殿場市内のいやし処寛楽。出発する明日は飛び石連休の中日でもあり、混雑予想されるR246は走らず、迂回路でr63r62r77r78と県道走行で御殿場市内入りする予定。

神奈川県の外れ山北町は亡くなった親父の故郷、戦後の食糧難時代だった小学六年夏から、年末までの半年間伯母宅に疎開させられ、みかん山を飛び回り遊び呆けた思い出が残るので、今回足柄峠越え御殿場入りで楽しんで見ようと考えている。

少年時代の思い出は語りつくせぬ程沢山あるけど、国府津から乗車した御殿場線最終列車で寝過ごし、終着御殿場で駅員に起こされ仰天、後先も考えず客車最後部まで歩き、そのまま線路上に飛び降りて、枕木の上を歩き山北へ向かった事だろうな。御殿場、山北駅間約20kmで大小7つのトンネル、当時はまだ上流に丹沢湖が無く、水量多く轟音で流れる多くの鉄橋を渡り、伯母宅に早朝無事に到着したが、夜通し歩いた武勇伝が近所中に伝わり、田舎のおばちゃんおじちゃんたちが、俺っち顔見に集まって、大変褒められたのは意外な感じだった。てっきり叱られると覚悟してたので、とても複雑な気持ちだった。今の時代とは違って、狐や狸が人を化かすものと思われていた時代で、山北と御殿場間は御殿場線で最大の難所、登坂は蒸気機関車二重連で走ってたからなあ。

月が輝く晴天下を一晩中歩き通したけど、トンネル内部は当たり前だが真っ暗闇、遠く出口が見えるトンネルは大丈夫だったが、先が見えない曲がってるトンネルには難儀し、線路につまずき転んでは起きの繰り返し、手足傷だらけになり数日間痛かったなあ。

後日伯母から詳細を聞き及んだ親父、お前は言うこと聞かないのが気に食わんが、何事もやり遂げるのは偉いと変に褒められた。親父にしたら自慢の息子だったんだと思う、超可愛がられてたので親父の仕事場、機関区へもよく連れて行かれ職員専用の風呂に入れられたけど、これは子供には熱かったので嬉しく無かった。



2/3 Eバイクコースをロード車で走る

2020.02.02
日曜日晩方PC前でデジタル地図眺めてたら、ふと先日2泊3日で走行したコースを今度はロード車に乗換えて、1日で走って見るのも面白いかもと、脳裏に浮かび早速実行することに決め、嬉々として寝床に入ったのが前日深夜23時半。

我が家からR20大垂水峠越えで相模湖、鼠坂、三ケ木、城山ダムまで上り下りして、橋本から相模原まで遠回りして、我が家まで帰るコースが75km、先日Eバイクで走った同じコースを、本日ロードバイクで走ろうと言うわけ、10時過ぎには我が家を出発したいと考えてたが、神さん不在でヤマト便の集荷待ちしてたら、時間押してしまい出発できたのが正午近くになり、前回相模湖畔で食べた昼食本日は割愛、相模湖駅前を左折してR412に分岐、湖畔路面を鼠坂目指し前回宿泊した宿、Hフラワーヴィラ前通過もまだ22km、体調不良は鼠坂上り勾配がめちゃ脚にこたえる。

道志橋渡り裏道へ左折のんびりと三ケ木、名手橋渡り都県境近い山肌路面をクロカン走、前回は三井から津久井湖抜けて、城山湖まで上ったけれど、本日はアシスト無しのロードバイクで体調もいまいちでこれはパス、結局全走行時間3時間で51kmやっとこさの帰宅で散々だった。大垂水峠上りですれ違った従兄弟のTY、戻って俺っち後方に終始続くも気合入らず、体調不良そのまま継続の醜態見せ悪かったなゴメン。

帰宅後疲れたのでまずはひと眠りと着替えるも、PC前でブログ綴り出したら眠気も消え去り、間も無く鎌倉通いの神が帰る時間となったので、夕食は御相伴でうな重の約束なので、帰宅するのを今か今かと首をウナギのよう長くして待ってるのよ〜。




2/1 初のEバイクツアー

2020.02.01
今年正月宣言した英G 二刀流走法だが、初めてEバイクでの泊りがけツアーを体験した。以下はその報告でありんす、Eバイクは満充電状態でも、快適なスポーツ走行モードで走ると、走行距離は100kmがやっとのスプリンター。

今回充電器持参せずの2泊3日の旅を計画した、コースは八王子市内の我が家から、R20大垂水峠を越え相模湖からR412、鼠坂越え津久井湖畔から橋本、相模原へ向かって多摩丘陵徘徊等、脳裏に描き我が家を出たのが1月30日昼過ぎ、登坂路得意のEバイクはあっという間に相模湖町、駅前喫茶相模で昼食予定してたら何じゃ休業よ、仕方なく相模湖畔へ下って茶店にインて、食べた昼食ナポリタン、女将の笑顔めちゃ素敵だったが、食べた俺っちアンポンタン。

冬の陽気は夕暮れ早く店前通るR412走り出し、鼠坂(ねんざか)へ向かう途中で見かけたホテルにイン、その昔は栄華を極めた連れ込み宿も、今は妖気漂う気配充満も素通りも悪いかと、ここを初日宿に決定は俺って優しいね、カード使用できず前金¥12000.支払うと、財布に残るはDr.野口数枚だけ寂しい。

翌朝R412鼠坂越えとなったが、この道路横浜方面から中央道西方への近道、現在は大型車の交通量多いが、俺っちアマチュアロード選手時代は過疎ってて、絶好の練習コースで頻繁に走った路面だわ。

この日の移動先橋本までは至近距離、迂回迂回と道志橋から左折名手橋渡って、山肌過ぎるクロカン路面走り、三井から城山ダムに登坂する、ダム湖畔からの下り路面進行も、全面交通止めパイロン並ぶので逆走、別路面に変更して橋本に向かうも、チェックイン時間に早過ぎ宿のみ特定して、時間つぶしのお遊びランに転換、広大な米軍相模原補給廠脇を走行、ベトナム戦争時代の頃ベ平連が、米軍貨物トラックの通行を阻止、幼いGI運転手の呆然とした気の毒な顔、今でも脳裏に焼き付いてる、あの戦争は一体何だったんだ。16時過ぎアイH橋本前に戻ってチェックイン、朝付き¥8279.夕食は橋本街中で食した。

翌朝2月1日は土曜Eランの日なので、6時半からの朝食タイムに7時過ぎ向かうも、並ぶは貧相な食べ物だけで食欲刺激されず、おにぎり1ケのみやっとの事で食す。8時過ぎホテルを後に御殿峠越え、11km先の我が家へ向かったが、いやはや寒かったことこの上無しで参ったよ。我が家到着でEバイクをロードバイクに乗り換え、Eラン仲間が待つ元立川店舗裏の公園で合流、狭山湖方面を走りまわり、M子推奨の食事処で昼食たべたけど、参加者全員8名全てオムライスこれって珍奇。食後狭山湖突堤上を走り立川へ向かい、途中流れ解散となりラストは松と二人だけ、八王子市内で別れ帰宅した走行距離は75kmだけだが、早朝Eバイクの11km走行が加わるので、100kmに近く最後はバテバテとなった。






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