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2019.10.13
9月末列島北上ランで常に入り口になってる、大宮市内まで自走で向かったのが9月末日。翌日上越新幹線で新潟に向かい、特急いなほに乗換、あつみ温泉駅まで輪行してから自走開始、その日酒田市内泊まりから今回の旅がスタートした。翌日は天童市内に泊まりその翌日、岳♨︎に向かい、更にJCRC時代熱中してたロードレース大会開催、馴染みの地泉崎村での連泊、那須塩原、真岡熊倉、西川口、相模原と宿泊移動して、帰宅する10泊の旅予定。
酒田市内から天童市に移動した100km越す走行、これが84歳の老いぼれには少々重荷だったのか、翌日岳♨︎泉でリラックスほっと一息つくも、その翌日は雨降りとなり二本松駅迄の10km、下り勾配で楽々だったけど、30分の待ち時間駅舎で弁当¥1200.購入食し、郡山行きに乗車終点まで乗車するも、到着したホームに次乗換る白河行と連絡無し、出発まで1時間もホームで待ち惚けには参った。
泉崎駅に降車した時は夕方近くで、宿泊先カントリービレッジに到着した時は夕暮れ、JCRC活動に全力投入してた初老の頃、足繁く通った泉崎村あちこち走って見れど、大きく様変わり別な場所の感じ、今回旅のちょうど半分経過で、ここ泉崎カントリービレッジに連泊、翌日は走行道路側に落ちてる栗拾いでのんびり過ごし、遠い昔の少年時代を思い出した。
翌6日(日)那須塩原まで移動しながら栗拾いは続き、小学4年生10歳で敗戦食糧難時代を体験、学校サボって栗拾いに山へ向かった仲良しも、今は遠い世界へ旅立ってしまった。目標人生100年であと15年弱思い切り自転車人生、楽しむつもりでおるけどはてどうなりますか。
目標達成まで元気に走り続ける気でおるが、最近の脚力低下は自分でも信じられない酷さ、いずれEバイクに乗換える予定でいるが、それ程ハードなコース設定では無いはずの今回も、疲れ切った状態での帰宅となり、自宅での疲労回復に長時間要し、老いたなと今回ほど年齢を強く実感させられた事はない。
帰宅後一日中寝床で過ごす様をみて、あんたよく寝るわねえと呆れ顔の神さんだったが、あんた無理しすぎてるのではの声が発せられなかったのが、俺にとって僅かな救いだったのではと考えている。
来月は群馬県下8日間の旅予定してるので、行程詳細を調べたら100km〜80km〜連泊〜60km〜50km〜100km〜60km〜50kmで、100kmの日が2日間あるので、無理せず途中輪行も視野に入れ、走るコースはそのまま変更せず向かう事に決めた。
年末12月は山梨県下7日間の旅でこちらも全宿予約済み、77歳=129泊 78歳=145泊 79歳=129泊 80歳=152泊 81歳=149泊 82歳=146泊 83歳=119泊
取りあえずそのままにして来月の走りでの結果で、再考しようと考えているが、Eバイクに転向はほぼ確実と考えてる。残念だが遂に84歳半年で、アシスト車にエスケープが確実のようだなあ‥
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