G77 残る一峠越え目前にボケ爺の決断。
2012.07.30
30日(月)朝、何が何でもギブス外してもらわにゃどうもならんと杖担いでミニベロ通院。次マッサージ院に行かねばならんのに混んどるじゃん、やっと順番ギブス外した足触って痛みますか?痛くない(本当)と答えると、それでは足踏みして下さいだって、よしやと力んで床踏みつける小学レベル見て、にやり笑った医師が一言、いいでしょうギブス外しましょう、杖も返却でOKですと看護師に命じた。その後湿布薬受取ってマッサージ院、包帯残る右足除外で撫で回され、いい気持ちでまどろみ終了、寝ぼけ眼で表へ出たて、自転車の鍵ポケから出そうとしたら、あっれ半ズボン裏返しで穿いちゃってんじゃん、こりゃいかんとマッサージ院戻ったら、小姐に何か忘れ物と聞かれ?いやズボン逆に穿いちゃったのと前後穿き替え、眺めてた小姐笑い転げておったわ。
家に帰ったら先日案内した食事会日程、8月5日(土)は8月5日は(日)よ、5日が正しいのか、土曜が正解か迷うって聞かれたけどと娘、う~むまたかよで訂正はがき作成ポストへ投函。
残された峠コンペ最終日の明日、包帯外してもやや腫れてる足首シューズ履くのがきつく、最悪サンダル履きでも登坂達成せにゃあなるまいと思ってたら、夕方届いた速達便での夫婦達成の知らせ眺めGOGO確信。うす暗くなりだした街中抜け、急ぎ駅まで乗車券買いに走った、今回は特急乗車時間長く3時間半、負傷した足首労わり指定席券購入、着席乗車で残り一峠越え、自分の目標達成する予定だい。
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77峠コンペ 金メダル獲得者現れ、お粗末ヒデ爺失格寸前。
2012.07.29
8日間のサイクルツアー終えた翌日の23日(月)足首に違和感、その翌日立川店まで暑い日中ミニベロで往復、夜になって右足腫れあがり痛くなる。更に一夜明け25日(水)予約のマッサージ院向かうに歩く事もままならず、痛みこらえ右足触らず何とか治療受ける。痛み更にひどくなり万策尽き整体医へ、骨に別段異常はなく靭帯の損傷、ギブス固定松葉杖の哀れな姿で帰宅。杖の助けないと歩行もままならず、今回は杖はいらないと断れなかた。これまで使用していたビンディングペダル、固定脱着がやや緩い感じになり、以前足痛めたカーボンばねの高級品に交換、8日間使用した結果が原因とわかり、元のペダルに戻しクリートを新品に替えた、老人になると身体の各部分にガタは出るわ、弱くなるわで大変だなあと痛感。腕の力も無くなり使い古した、スペアタイヤですらリムに嵌められず、スペアタイヤ持参しても装着できずでは、持つ必要なしと考えSOS=歩行、ヒッチハイク、タクシー、輪行の混合帰宅と考えている。旅先の場合は翌々日の宿までホイール宅急便、せまいにっぽん何とかなるさ。
水曜日(25日)初診で金曜(27日)再診、土曜(28日)再々診ここでギブス外せると思っていたら、まだ熱もあり腫れも残るからと固められたまま、月曜日(30日)まで様子みましょうって…。月末の火曜日(31日)に残り一峠走破せにや、我が計画未完遂の散々な結果となってしまうぜ。
手元に届いたクラブ員のパーフェクト体験記録、あまりにも見事な完遂記データー眺め、こ奴仕事どうやりくりしたのかそっちが気になった。いずれにせよ俺っち予測をはるかに凌駕し間違いなく金メダル『赤トンボ』お前さんのことだ、おめでとう。
7/21~22 甲斐軍団西伊豆ツアーに同行。
2012.07.23
連日走っていた峠コンペ7日目の最終日は、先約の甲斐軍団西伊豆戸田一泊ランあり後日に回し、21日(土)早朝の甲斐軍団差向け使者の案内断り、南甲府まで自走し身延線特急『ふじかわ』に8時48分乗車出発、46分間乗車し身延で下車駅前で待つ十名ほどの軍団と合流。道中は大きな図体のアンバランス、荷物背中に向かい風ものともせずガリガリ先頭ひきまくり、途中昼飯食べ沼津港市場まで海岸突堤上を走り、小田原からから箱根越えの関白姫、僕殿、家老にお伴の大駕籠一行と合流、海岸線を大瀬岬巡り戸田港宿まで、終始疲れ知らずのガリガリ君に大変身にたまげたね。
漁港民宿食べる物に不服はないが、雑居房のような詰め込み部屋では安眠もできない、祭り最中という事もあって混雑に輪をかけたのかも、屋上に洗濯機設置フリーユースは商売上必須なことだがこれは有難かったな。
早朝風呂に入ってからの二度寝が心地よく寝過ごし、朝食食べ走る支度してると突然蛇の目が姿見せる、お前いつから忍者になったと聞くと、長岡に早駕籠駐車し戸田峠越え来訪だってよう走るのう。大瀬崎から三津へ向かう甲斐軍勢にガリガリ君と蛇の目忍者は同行。
俺たち向かった戸田峠はスタートしてのいきなりの上り道、身体がまだ目覚めてない状態で苦しく、裏日本縦走ランで坂下にある宿に泊まり、それほどの坂ではなかったが朝一坂上りに難渋し、次回坂下の宿選択は避けようと思ったっけ、と長い坂上りに苦しみながら思い出していた。
何度か走った経験ある戸田峠下ると修善寺、山伏峠から伊豆多賀で海岸線に出て国道135、日曜日なので車の渋滞激しく真鶴から山側旧道に逃げ、根府川で『うな和』に昼食オーダー、久しぶり対面の匠元気印変わらず安心。
うな重パワー発揮好ペースの家老先導に関白姫、大駕籠、僕殿、ヒデ爺5両連結じょうたいのまま小田厚側道、厚木運動場で小休止、田んぼ、昭和橋、上溝、相模原、小山と追走続け、ここで一行と別れ橋本から混み合う国道16へ入り御殿峠越え八王子市内、5時半回って帰宅8日間の自転車ツアー終了。
G77 峠コンペ6日目は境峠。
2012.07.20
本当は別な峠に向かうはずだったが早朝天気予報急変、長野県下オール雨予報と聞き、ラストに残してた境峠と入れ替え、境峠も天気なれば上高地方面に抜け、松本へ戻る予定だった。翌日の甲斐勢と西伊豆攻略控え、雨天で無理することはないと、境峠頂上から薮原に戻るピストンコースに変更。ここ連日朝早くに目覚め天気急変にもすばやく対処、朝食抜きで7:41松本発中津川行きに乗車、部屋中留め置き輪行袋のまま、駅まで転がし歩き組立解体手間稼ぎ。通勤通学時間帯でもしや混み合うかの懸念も問題なく、東京のラッシュが異常なことを改めて認識させられた。
連絡電車の遅れから塩尻で時間待ち停車長引き、薮原着が4分遅れても9時10分前。閑散とした駅舎で帰りの時刻表メモ、11:26、13:19のいずれかで帰れると予測、自転車組み立て空きっ腹なので、牛乳分40%の紅茶缶1本飲み対策万全。自転車組み立て合羽着用出発も、ゆっくり走っても運動量多いようで、すぐ汗ばみ不快なので脱衣で走る、さほどの降りでなかったので助かる。
坂もこれまでで一番の楽坂で苦しむことなく頂上、展望まったくない峠で標識も見当たらず、探すと一般車通行止めの境峠林道標識目に入る、峠確認できたので携帯写真写し急ぎ戻り11:26分に余裕で間に合う。塩尻駅で特急『あずさ』に乗り換え、車内販売駅弁は千円幕の内購入、座席がら空きなので愛車隣席にじっくり食す。甲府着13:11明日の一泊ツアー身延まで輪行と決め、甲斐勢と合流するので前売り乗車券購入、結構雨降ってる中を走って石和CHに逃げ込み洗濯。
今月誕生月無料招待の温泉瑰泉で疲労癒し、明日の西伊豆一泊ランに備えるつもりだったが雨降りひどく外出できず弱った。残り1峠達成は29日の阿蘇望中止になり、月末予定空きのんびり達成も可能で気楽になった。熊本県ほか九州各地の皆さんに同情しますわ。復興一段落後イベント開催盛り上げを期待し待ちましょう、予約したチケットはてどうしようか?被害地遊びまわるは心情的にとてもなあ。
境峠 1486m 輪行 松本→薮原→甲府 32km。
G77 峠コンペ5日目は武石峠。
2012.07.19
異常な暑さ心配し宿でがけに神さんから電話あり、こちとら安眠でき腰痛も無く心配なしと伝える、時間に余裕ありすぎも早い分には良かろうと出発。乗車駅立ケ花までは下りだけなのでさらに早く到着、乗車しなかったが見覚えある場所、冷房の無い暑い待合室に相次ぎ現れた男女二人、独りで飲むも気が引ける相客分麦茶も購入差し上げると、女性客はびっくりお金払いますだって、ただで配るも大変や、初対面の人から頂き物って初めての体験だって、恐縮することしきりだった。人類皆親戚遠慮は無用や。電車が来るまでの長い待ち時間、知らぬもの同士がすっかり打ち解け世間話。お父さんは昭和7年の80歳、お母さんが昭和11年76歳、おれっち昭和10年77歳、ついさっきまでまったくの他人だった3人、戦時中松代に大本営を移転するため手掘りで地下壕建設、朝鮮人使役で強行酷いことしたのよ、あちらの人が恨むのは当然で恨まれても仕方ないよ、戦争は絶対やってはだめだよ。戦争の醜悪悲惨さを知る人達が次第に少なくなり風化、また同じ過ちを犯す愚かな人間火種は尽きない。
電車が間もなく来る時間になったら、大勢乗客集まったが皆はるか年下、年よりはせっかちって言われるけど本当のようだ。乗車したのは飯山線長野駅で新幹線に乗り換え、乗り換え時間15分ありホームの立ち食いそば、12分乗車し上田駅で下車、改札口にあった弁当食べたくなり、盛りそば食べた直後なのに買ってしまい、駅の外で味わってしまった。幸也ママから頂戴したブルーベリーのデザートつき、駅弁って楽しいんだよな。
満腹になり時間も浪費上田駅をスタートしたのは12時過ぎ、武石峠は以前走ったことあり、気楽に考えていたが暑い、老脚、疲労蓄積等あれやこれやで本日も大変な一日になり、峠標識見当たらず美ヶ原方面へかなり走ってしまい、3時半を過ぎてるので戻ったがくだりも長くなると楽ではないな。
松本のビジネスHチェックインは5時過ぎになり、コインランドリーで洗濯中街中に夕食食べに行き『すし』
武石峠1340m 輪行 立ケ花→長野→上田 102km。
G77 峠コンペ4日目は地蔵峠。
2012.07.19
御代田のビジネスHから駅に向かい輪行はしなの鉄道『滋野駅』まで、地図で調べたら滋野から湯の丸高原地蔵峠は迷う余地無しの一本道、これが勾配きつく日陰のまったくない路面が続き往生した、右側に時折見かける木陰眺め、車の通行少ないので許せ右側通行で僅かの涼を求める。正午には頂上到着目論むも10分オーバー、店並び大駐車場に観光客の姿あるも、地蔵様は祭られてたがどこにも地蔵峠の表示無し、ジョッキ一杯¥350の高原牛乳飲み昼食とする。暑さと体力消耗度考え須坂へ下ってから、山田温泉、山田牧場から国道292へ上る豊野南志賀公園線の予定を変更、須坂から中野直行を幸也ママに伝える。
地蔵峠から一気の下りも次鳥居峠まで上る事考えると快適とは言えず、前走る車はどちら曲がりかなとT字路信号、右テールランプ点滅で嬬恋、長野原方面へ向かった。鳥居峠群馬側は坂緩やかなのが僅かな救い、菅平口でヘアピン曲がりで菅平へ向かいまたも上り、菅平街中で自販機麦茶500mlとポカリ。
菅平から須坂までの下り道、車列最後尾車に続くも頻繁にブレーキの運転に嫌気。須坂現在地を知らせ幸也中学生と合流場所決め、スムースに出会い地元唯一のマニアショップ親輪社案内を頼み、JCRC時代から店名記憶に残っており、今回店主に挨拶でき良かった。
幸也先導で支部温泉の常宿まで案内され、温泉で汗流しホット一息つく間もなく、汗だく衣類背負って自転車でチョイ離れたコインランドリー直行、一度戻って再度受け取り参上は面倒と、そのまま35分待機で宿へ帰ると夕食時間、食べ終えるや今度は幸也親子の来訪と大忙しも、話題が自転車のことでは疲れも忘れる。
地蔵峠1732m 輪行 しなの鉄道 御代田→滋野 走行61km。
G77 峠コンペ3日目は二度上峠。
2012.07.17
3日目は時間的にチョイ大変な日。宿から輪行する中之条駅までが遠く、道路状況がよくわからず発車時間11時なので、8時には宿をスタートしたかったが15分ほど遅れ、マイペース走行したかったのに急ぎ、日本ロマンティック街道と名づけられた国道152、高山村の上りのんびり景色楽しむ余裕なかった。中之条駅に10時半到着も土日のみ運行列車、本日の運転なしで次11時45分まで、1時間15分も待ち時間発生で早めの昼飯は駅前食堂『梅おろしそば』中之条駅から長野原草津口まで輪行の予定が1時間も遅れ、目標の北軽井沢からの二度上峠攻略、のんびりランでは日が暮れるとあって、ここも力走する羽目になり二度上峠に到着、景色抜群によい峠だったが雨雲出現もあり、急ぎ戻ることになり疲れた。
北軽井沢まで戻り浅間越までやっと上り、中軽井沢に下り国道18号線に入ると大渋滞。枝道使いエスケープ大体の目安で大回りしたら、遠くホテルらしき建物に近寄ると宿泊先ホテル、5時を回っていたのでうまくピットインできたのはラッキーだった。ビジネスだが大浴場、コインランドリーもあり助かったが夕飯はお粗末。力走の一日だったので、あれこれ食べたくても、さば味噌煮定食、から揚げ定食、ハンバーク定食の三択、しかも出来上がりに40分はどうして?ビジネスH失格。
二度上峠1390m。輪行 中之条駅(吾妻線)→長野原草津口。 走行距離113km。
G77 峠コンペ2日目は坤六峠。
2012.07.17
宿泊した岩村田のホテルは新幹線佐久平駅すぐ近く、2日目の目標は坤六峠越えで佐久平駅から長野新幹線高崎で、信越線へ乗換え水上までの輪行、出発時間が遅く9:50佐久平発、前日同様早い時間に駅到着待ち時間余裕あり、並んだ女性と会話から名刺交換。水上駅着11:35ちょうど昼時駅前で昼食も考えたが、観光客相手ではなく地元の人が食べる店に行きたく、自転車組み立てを眺め言葉交わした、お父さん情報から谷川岳との分岐先のそばや紹介され、にんまり急いだらあっれ!定休お休みじゃん、定休日でも祝日だと変更するが普通のお店、委細かまわず休む店は特別のお店と判断、機会あったらぜひ食べてみたい。残念ながら店名忘れた道路左側難しい二文字店だった。
山道に入るのでもしや食べ物にありつけない心配あり、湯の小屋集落販売所でアンパン1ケ、麦茶ボトル飲み干しこれで何とか山越えOKも、坤六峠までは遠かったなあ、途中十箇所ほど工事中で交互通行の信号、道路右側に川が流れこの景観すばらしく、左通行では勿体無いので点滅ライト点け、対向車配慮しながら右側ガードレール沿いを走り満喫。これがなかったら長い上り道大変だったと思う、島根の匹見峡と同じいやそれ以上かも、照葉峡の看板あり、このあたり奥利根水源地なので都民の水がめ。
気づかず通り過ぎそうな坤六峠の名前刻まれた柱あり、この柱前に愛車並べ記念写真一枚。長かった上り道も下りは意外に簡単で戸倉で国道401、ここから老神温泉までの方が遠く感じた。国道から県道に左折一気に高度下げ、宿名眺め案内図通り走ると最後とんでもない激坂。宿の掛け流し露天風呂でのんびり疲れ癒し、和の宿の良さに満足。
次挑戦した峠は坤六(こんろく)峠1625m。輪行 佐久平(新幹線)→高崎(信越線)→水上。走行距離71km。
G77 峠コンペ初日は扉峠。
2012.07.17
7月15日(日)子供が遠足に出かけるときと同じ、早起き苦手の老爺6時前に目覚め、連続8日間ツアーの持ち物点検、最小限の荷物にまとめても背負うは重い?まあ走ってみて対策考えることに決め、時間早すぎるを承知で八王子駅に向かったら、何この混み方とびっくり。富士急HD に向かう親子連れ河口湖行き乗車で消えるも、俺っち乗車する9:09発松本行き特急時間には新たな人の波、いつもデッキの人なので座席不要も本日デッキにも乗客あふれ、申し訳なく小さくなって乗り込む。停車駅大月、勝沼、塩山と続くと、あれま皆降りてしまい車内空席だらけ、朝飯は車中で駅弁食べるつもりだったので山梨で着席駅弁食べるも、車内販売は種類少なくチョイスの余地なし、小淵沢過ぎるあたりから空模様も怪しくなり、上諏訪乗換え下諏訪で下車すると雨止んだ直後の様子。
和田峠までの長い坂道やはり背中の荷物重く、ハンドル上にくくり付け輪行用古チューブが役立つ。新和田トンネル手前左折、和田峠に向かうと路面悪く集中豪雨直後の感じ、あちこち水たまり流れる箇所もあり、濃霧発生前からのライト、追い越した車のテールライトで映画のシーンかのよう、気温も低くなり合羽着用も考えたほど、数名のロードがハイスピードで下るも、こちとら上りで時速10kmがやっといつ頂上に着くやら。
ようやく到着した扉峠売店でホット牛乳とお焼きでとりあえず昼食。食べ終わり出発すると下り路面、今までの霧の中はうそのよう好天気、ビーナスラインから外れ、松本から扉峠経由の県道63号線に入るとあっという間に先程別れた国道142、下り勾配快速路春ロングランで見覚えある長久保信号で国道152に合流、同じ道はつまらんと細道進入が悪く、コース見失いきつい坂道上がる羽目になり散々。宿泊する岩村田のホテルも祭り真っ最中、場所問い合わせ電話に応答する女性の地理不案内にはあきれた。町内公共施設の前を位置特定できず、他の目標物問うとはなあ、祭りの係員に聞いてやっと到着したわ。
1日目 扉峠1660mを最初の目標峠に選び走破。走行距離75km。輪行 八王子→下諏訪(中央線)
G77峠コンペ 明日からマイプランスタート。
2012.07.14
皆に楽しんでもらうべく自分で考えた峠コンペ、対象峠リスト眺め達成目標どう取り組むかあれこれ考え、これは案外面白い企画と自画自賛だい。イージな達成でお茶濁したら、発案者なので笑われると考え、お疲れさんでしたと皆から言われるような、攻略法あれこれ数日悩み考え、いよいよ明日から実行する事に決めた。まず初日の明日15日(日)朝、八王子駅から特急『あずさ』で輪行、茅野駅で普通車に乗り換え下諏訪駅降車。駅前から自走信州和田峠からビーナスライン扉峠に向かう、俺っち77峠攻略は扉峠からスタート。
以下1日1峠各地を巡って1週間7日間走ると7峠攻略で見事達成となる。ところが今回生憎、週末21日(土)~22日(日)が甲斐軍団、青に誘われた1泊2日の西伊豆ランに参加する日、取りあえずラスト1峠残し中断。
22日一泊ラン終え一度我が家へ帰宅。翌23日早朝輪行でラスト1峠所在地に向かい、この峠攻略し俺っちコンペ終了することになる。取りあえず平凡に7日間で7峠、7回輪行して攻略することになるわけだが、何処から何処へ向かうのか、何を狙ってどういう結果になるか予測してや。
ところで参加皆さんは順調に楽しんでますかな?
来週末は南の北さんじゃわけわからんな、福岡のピアスの北さんに誘われ、阿蘇望で熊本とんぼ返り旅予定あり、今月残りクラブランすべてお休みよ悪しからず。でもテレビニュースで熊本、阿蘇地方集中豪雨の洪水で大変じゃん、あそぼう?なんて呑気に出かける状況にないのではと心配、昨秋走った日田もとんでもないひどい状況だぜ…末世の感じ。