今とこれからを考えた。
2010.12.28
これまでも腰痛には時折悩まされる事はあったが、さして気にもせず自転車に乗り続けるうちに自然解消が常。だが今回はいっこうに良くならず、12月の初め瀬戸内海ツアー終え広島空港に向かって走る帰京の日、強烈な向かい風の坂道で強い痛み感じ、帰宅したら医者に行ったほうが良いかもとマジ思った。帰宅した翌日やや痛み和らぎ医者嫌いなので結局放置。ところが、今回の島根県益田での雨中の走りで身体冷やし、広島での慣れないシーカヤックが更に腰に負荷かけで強い痛み発症、今度こそ医者に行くようかなあと思うも、膏薬貼ったりマッサージ受けたりのその場しのぎ、マッサージの姉ちゃんに無理は良くない、痛み取れるまで休んで下さいと言われ、正月6日まで予定入れず取りあえず少し休んで様子見。
シマノ電動メカを体験して下さいと持ち込まれた、親切な問屋の姉ちゃんがセッティングしてくれた自転車、正月中乗るつもりだったが2日間だけ走って納得、発売直後から導入していた監督が絶賛、俺っち向きだよと告げられていたがシマノ嫌いのカンパ信者は、全くその気になれなかった。食わず嫌いと同じくだったが、今回の試乗で改めて日本技術の粋に目が覚めた。
で、来春乗り替える新車は電動デュラエースに決めた。最近足も軽く回らなくなってきたのでクランクも165mmコンパクトだな。一目ぼれしたフレームに電動デュラ装備して、表日本縦走ツアーでのんびりランを楽しむ予定だ。フレームは眺めた瞬間これだ!て、老いた頭脳にひらめいた、俺っちにぴったしと決めたものを使う、わかるかな?わかるだろ、俺っちを読めばわかるはずよ。
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島根県 『なるしまフレンド』益田支部結成。
2010.12.26
滞在二日目も地元メンバーに誘っていただき匹見峡へ、ペーサー消防隊員のみがメンバーチェンジしての4名で出発、朝まで雨降っていたが止んで良かったと思ったら甘かった、向かったのが山地なので後半天気崩れ、昨日に続き帰り雨中ランとなりずぶ濡れ、若干救われたのはホテルに飛脚便荷物が届いていたこと。更に助かったのはホテルにコインランドリーがあって、前日の手洗いタオル搾りの労力からは解放され、大風呂でのんびり身体を温めることができた。夜は『なるしまフレンド』クラブ支部結成を祝っての夕食会、筬長も合流18名もの多数の員数集まり盛り上がり、12名の支部クラブ員名簿が届き、発足直後でこれだけ集まると今後更に多数の仲間が増えるはず。来春には早速益田支部と親善交流のサイクルツアーを企画、共に走ることが仲間意識を高揚したいもの。聞けば消防署チームが来春3月、全国の消防署対抗皇居駅伝マラソンで上京するという、マラソン参加選手が皆クラブ員では我々も大挙クラブランで応援に駆けつけようと考えている。
大分県臼杵市に始まり、北海道札幌市に続き島根県益田市と支部が3か所に拡大、輪が広がってこんなうれしい事は無い。筬長さまさまだい!ありがとう筬長。
3日目の23日天皇誕生日は晴れだったが、この日は車で広島まで移動シーカヤック体験、映画やテレビ画面で眺めた事はあるがまさか自分が体験することになろうとは思わなかった、筬長も初心者かと思っていたら何じゃ専門家じゃん、厳島神社まで海を渡る往復6km、足で漕ぐなら苦にもならんと思うが非力な腕漕ぎ、往復1時間40分帰りには腕痛くなり往生、下船したら腰痛も加わりもう大変。でも思いがけない体験ができ面白かった。
この日は広島に宿泊し4日目は益田市まで車で移動、広島、益田間サイクリング予定した山間部を突き抜けたが山頂部道路脇は雪で埋まっていた。冬将軍到来ですべては来春の楽しみとしよう。
島根県益田市から帰り今年の作業終了。
2010.12.25
昨日Xマスイブ羽田着ANA便にて島根県益田市から帰着。今回の旅はクラブ益田支部誕生、結成発起会でメンバーとの顔合わせ、あわせて来春企画している匹見峡津和野サイクルツアーコース試走を兼ねての旅。12月は決算期翌月で多忙なのに、瀬戸内海4日間、四国7日間、九州臼杵3日間と輪行ツアー続いた直後の4日間の輪行強行軍、企業戦士に負けない過密スケジュールは、とても後期高齢者のやることでは無いよなが、平気でそれができるのは健康体だからではあるが、サイクリング仲間達から頂戴してる応援、これがどれほど老体に力を与えてくれているか計り知れない。感謝し楽しい企画でお返しできたらと常に考えている。21日(月)石見・萩空港に到着すると雨じゃん、チームジャージの人まじえた仲間3人に迎えられ、皆さんの走る気満々の姿見て、爺も追従するほかなく先頭走る消防若者に続く、やたら元気な若者の雨中快走につきバテ、アップダウン続く農道走りあえなくダウン、息も絶え絶え街中ショップにピットインで救われる。バイクと自転車兼業の大きなショップ、嫌いなコーヒーも寒さに負け、ミルクと砂糖倍増して冷えきったお腹に流し込む。商売熱心な店員相手に時間の経過忘れ、専門店の在り方等力説してたら、知らぬ間に濡れた仲間たち皆退散、俺っち独りだけに我に返った。
宿泊宿は至近距離駅前でチェックイン簡単にすむも、別送飛脚便荷物が届いていおらず、はて?どうしたものか悩むも、濡れた衣服は乾かす以外なく急いで手洗い、タオル類で入念に脱水換気良い風呂場に干す、これが結構な大仕事で骨折れる。バスタブで冷えた身体を時間かけて温めやっと我にかえる。
発起世話役交え夕食会で盛り上がる。荷物追跡調査すると明日11時着は全く役立たず、確実に翌日着で信用していた飛脚に裏切られた、かって痛い目にあったくろネコの方がこの地は確実らしい。2人のフロント女性が口を揃えて言ってた。〒と飛脚が結託しネコ追いだし図ったあたりから、時代は変わったのかも知れん。個人的にはネコに頑張ってもらいたい思いも、噛まれた傷跡が思いだされてなあ…
四国サイクルツアー 続びっくり体験。
2010.12.16
サプライズ体験翌日は高知から徳島までの移動日で、国道55号直行距離が210kmもあり爺の脚力ではとても一日で自走は無理、輪行組み合わせ必須で『土佐くろしお鉄道』終点駅まで輪行し、その先室戸岬周り『阿佐海岸鉄道』始点駅まで自走して、そこから再度の輪行で徳島へ向かうことにした。朝10時出発、路面電車が『ごめん』バスも『ごめん』と走り続ける道路、俺っちは謝ることもなかろうと『後免駅』まで共走。ごめん~なはりまで観光輪行『奈半利』駅で昼食。室戸岬に向かって走り突端の灯台眺めながら岬を回りこむ、大きなホテル目にしパンフ入手と玄関に向かうと廃業。向かい風と戦いながら北上すると、ここにもあったよ『夫婦岩』が。
甲浦で輪行と駅舎目指すと、遠く田畑の中を走る電車の姿目に入り、次発まで相当時間ありそうだなあと思いながら駅舎にイン。と『あれ自転車ですか?』と目を丸くした漫画美人、てっきり無人と思って入った小さな駅舎に人が居り、鎌倉美人と浜っ子若者の歩く徘徊者と自転車徘徊老人の遭遇となる。
次の電車まで1時間半も待つなら、も少し走ってJR『牟岐駅』から輪行すべく、室戸岬行きバス待ちのお二人さんと別れ国道55へ、25km程ある道程夕暮れ時とあって暗くライト点灯もスイッチ反応せず、あれっ!故障あれこれいじるも駄目、てっきり故障と判断あきらめ真っ暗な夜の国道走行、後方から次々現れる行楽のマイカーライトに助けられ、ゆっくり安全走行日曜日が幸いした。
始発牟岐駅で軽食サンドイッチ食べ電車待ち、乗った電車が普通車で徳島まで70kmを2時間16分もかかったのには参った、途中駅で30分も停車し2度の車両増結、『人も乗らないのに何で増結するの?』って問えば、回送車両だってさ、たった1両で走ってたのが4両になり、乗ってなかった車掌さんが3人になる四国マジック。燃費を節約してるのかもと再度聞けば、全車両のエンジン稼動して運転中だって、でも俺っち忘れ物無料で特急利用で手元に戻してくれた、謝礼の気持ちで届けた『ドリンク茶』、『当然のお客様サービスですから』と固辞した職員さん尊敬しちゃう、JR四国に感謝感激。
その昔仲間が名古屋駅で『こだま』に忘れ物、気づいて駆け込んだら窓口職員、『途中駅は無理です終点で探します』に、『ひかり』で追走『こだま』追い抜き、東京駅で自力確保した苦い思いあるので徳島駅の対応は天と地。
故障返品したライト『充電しろ』って娘に叱られたがこやつも鬼だな、俺っち点灯したらめちゃ明るいので充電されてるとは、最近の科学技術の急速な進歩は凄いって感心してたのでちょっと凹んだ。で云われたとおり充電しその明るさに感動、ナイトランがしたくなったでも寒いから…そうだ沖縄に行けば
四国サイクルツアーびっくり体験。
2010.12.15
四万十市出発以降の日程後半の2日間は宿も予約せず、宿泊予定が高知と徳島の大都市なので不安は感じなかった。走る途中で鉄道駅に立ち寄ったり、道の駅で情報収集してたら思いがけず時間かかり、高知まで30km残し須崎駅から輪行となる。20分ほど待って特急『南風』乗車、高知到着17時の気動車。4両編成最前部広いデッキに輪行袋安置、背中のリックを後方に置き、乗車30分少しで高知駅到着となり下車。駅前にある旅行案内所で宿探し、暗くなった広場横切りホテルに向かうと、『あれぇ?』背中のリックを車内に忘れたと気づく、急ぎ駅案内所に戻り直訴すぐの手配で次停車駅、『駅員1名で動けません』の応答、次々駅で取り戻し依頼、確保次第連絡しますと親切応対に安心、再び駅前広場横切ると荷物満載自転車旅人発見。
『何処へ行くの?』と聞くと『こんなことやってるんです』って見せてくれた5万円で日本一周のボード、街頭でピアノ弾いてメットに投げ銭頂き、生活の糧にしての自転車移動中、プロ転した俺っちクラブのストリートミュージシャンと同じじゃん、元手5万円で伊勢原市の自宅を2ヶ月前出発したという、しかも中央大学在学中の4年間住んでいたアパートが八王子市内の山田『広園寺』先の路地裏じゃ、俺っち自宅と目と鼻同然じゃん、偶然はなくすべて必然の考え方に共鳴する老若二人は心の友、うちのETの後輩じゃんこれも何かの縁、急接近の親近感生まれ『夕飯一緒に食べよう』となって、播磨屋橋商店街で土佐造り定食食べながら盛りあがった。
若者の今後予定は、寒くなるので九州から沖縄に渡り越冬を考えてるそうで、そうなると俺っち1月中旬沖縄本島、2月初旬数日間だけ宮古島へ行くのでまた会うチャンスもあるかも。メール交換し若者と別れ帰宅したら昨日メールにツーショット写真が届いた。
6ケ月から8ケ月で完走予定、若さの特権行使中の若者に乾杯じゃ、道中無事を祈る。
四国サイクルツアー概要。
2010.12.13
1日目 12月7日(火) 自宅→自走→羽田空港→松山空港→松山ANAホテル松山空港から市内ホテルへ向かって走り出した初の四国体験は東京より寒いじゃん。松山城のお堀前の全日空ホテルが本日の宿、こんなリッチなホテルが一泊ついて、徳島空港から羽田まで帰れて早割り航空運賃より安い、旅行会社企画自由旅行ってどうなってるの~
2日目 12月8日(水) 松山市内→R56伊予→R378→伊予長浜→八幡浜ハーバーホテル
午前中好天気で前日ほど寒くなく、瀬戸内海の島々眺めながらの快適走行だった。午後になると次第に雲多くなり八幡浜近くになり雨滴顔のかかる、幸いなことに急激に本降りになることなく市内に到着、宿探し始めると次第に本降りになるも、小さな町で探すにさして手間取ることなく助かった。立派なアーケード商店街も人気なしどうする~
3日目 12月9日(木) 八幡浜→県道25→上宇和国道56→宇和島(国際ホテル)
朝遅くになり雨あがるも海岸方面暗雲垂れ込め、濡れたら逃避策無く寒さで身体が持たないと判断、予讃線沿いの県道25で宇和島に向かうことに、いつでも輪行退避できる体勢で走る。半島沿いの国道378走ると66kmを内陸走るとたったの27km、宇和島市内到着早すぎ時間調整はマッサージ治療院。八幡浜より更に立派なアーケード商店街ここも人通り無く、後継者も居らずあと5年もすれば全滅だよと嘆く店主。
4日目 12月10日(金) 宇和島→由良半島→宿も→四万十市(新ロイヤルホテル四万十)
終日国道56を走ることになり道幅の割りに意外にも車が多く、無人の歩道が広いので歩道走ることも多かった。国道ランはつまらないので回りこんだ小さな由良半島、これがアップダウンの連続だったが景色良く思いがけず楽しめた。本番では日時かけても、できる限り国道を避けるルートを計画しようと感じた。
5日目 12月11日(土) 四万十市→黒潮町→須崎=輪行=高知市(高知ホテル)
清流と聞いていた四万十川、橋の上から川底眺めがっかり多摩川の方がきれいじゃ、河口から10km地点で条件悪いから?想像と現実の違いありすぎ。宿情報入手で鉄道駅や道の駅道草して、時間遅くなり須崎から高知まで輪行する羽目になりサプライズ発生。詳細は別記。
6日目 12月12日(日) 高知→御免=土佐くろしお鉄道輪行=奈半利→室戸岬→牟岐=輪行で徳島
高知から自走は御頼りの便りのライト故障し真っ暗国道走り、交通人身事故現場目撃あれやこれやのサプライズ、あ~腹減ったなあって徳島到着20時よ。詳細後日。
7日目 12月13日(月) 徳島市内ホテル=空港バス=徳島空港=羽田空港=筬長車に便乗自宅へ。
羽田から走るつもりの午前便、雨の中忙しく空港へ向かい昼時羽田着もこちらも雨、ラッキーにも筬長の待ち受けあって便乗で帰宅。一週間の四国試走を終わり、来年の表日本縦走準備資料も入手、道路状況も実走体験で得たので正月休みに計画練る予定。
走行6日間 走行距離460km。 サプライズについては、明日以降にアップしますわ。
瀬戸内海の旅から帰る。
2010.12.05
最終日 12月3日(金)天候回復遅れチェックアウト時間に雨羽止むもお空はどんより鉛色。素泊まりホテルだったので、駅前喫茶店でモーニング朝食はサンドイッチと紅茶。店を後にしたのが11時前、空港まで直走すると僅か17km、午後5時半フライト便搭乗では時間余りすぎ、三原まで海岸線の国道185を走り、忠海まで戻って駅前食堂で昼食。この海岸線国道の往復走が強風で難儀、滞在中なぎだった瀬戸内海が別海の様相で大荒れ、路面あちこちが波かぶってびしょ濡れ。
食後県道59号(東広島本郷忠海線)で海岸線から方向転換内陸に向かう、本郷で国道2号線(山陽道)横切ると県道33号に変わり、本郷橋渡って左折JR山陽本線沿いに走る。再度左折橋渡り返すと県道86(広島空港本郷線)上りきると空港のはず、強風と背中の荷物重く腰に負荷かかって、8%勾配標識が12%に体感これには参った。滑走路下のトンネル抜けやっと広島東空港到着は3時半。
余裕の時間で到着した上風の影響でフライト時間遅延30分、空港レストラン『お好み焼き』と迷って選択した『ステーキ丼』の不味さが食貧の旅を締め括ってくれ、最初の『うどん』だけが光り輝き印象に残った。搭乗便羽田空港混雑のため出発待ち機内待機、やっと飛び立つも今度は羽田空港で着陸許可待ち、房総沖空中待機させられ
リムジンバスに間に合わず帰宅遅れ、自社年度末のため事務作業多くあり、夜通し作業翌朝4時過ぎで断念寝床へ入った。後期高齢者じゃこれが限界だろ。
リラックスした旅を期待も現実は、島めぐりでの寝食温泉など望むべくも無く、宿決めずに走ると宿探しでひと苦労覚悟せねばならんと知る。今回の4泊5泊の旅金かからなかったが食の楽しみ皆無は楽しみ半減、荷物もって移動は身体にきついと分かり、明後日からの四国初体験6泊7日ツアーの参考にしたい。
瀬戸内海の島を走る③
2010.12.05
第4日 12月2日(木)午後から雨の予報頭に入れ10時宿出発。大浦トンネルを抜けず急傾斜上って豊島大橋へ出ると、広島からのライダーにばったり、先に行くか戻るか考慮中で停車していたシングルフリーのライダー。俺っちと出会いで行くことに決まった。マラソン趣味でウルトラマラソンも完走するこの若者、ロードが欲しいが大蔵省の許可が×で残念そう、登坂きつくなると自転車引いて見事な駆け足、自転車の楽しみ方もいろいろあるわ。
岡村島まで行って戻りますと言う若者と別れ、手前の大崎下島の江戸港町風情残る御手洗(トイレじゃなく地名)築二百年越す家屋が存在する町並みも、天気怪しくなりゆっくり見物する時間無く残念、タイムスリップ体験は次なる時間に先送りじゃ。
大崎下島から大崎上島明石港へは乗船15分間¥150+¥130島内左回り木江港で昼食焼きうどん、大三島へ渡るならここからも天気怪しくなり、愛媛領内は断念し竹原に渡ることに決め、食後すぐ島内先端にある垂水項港へ向かう。竹原までは乗船時間25分¥360+¥130到着すると空模様更に怪しくなり、急ぎ宿探し駅前シティH週末まで満室だって、路地裏ビジネスH見つけ無事投宿、すぐ雨になるも救われた。
夕食食べにアーケード街に出かけ『手打ちざるそば』茹ですぎで腰抜け、今回の旅は食べ物に恵まれず食貧ツアー様相。食後時間あるので床屋で散髪¥3600.親父が髪切り終わり替わって母さん髭剃りを、寸前客送り出しひと仕事居終えた倅さん、阿吽の呼吸で俺っち髭剃り担当、家族連携のチームプレーに和まされた、この倅俺っち髭剃り洗髪終えたラスト、肩揉み始め『凝っていますね』に『リック背負ってたので痛いの』と言ったら、背中の方までもみ続けてくれ、その優しさ思いやりにチップ。親父さん立派な後継者居って幸せだな、俺っち街の仕事も碌にできない過保護二世の駆け出しとは大違いだわ。
雨は夜通し降り続け回復は翌日昼頃と伝える予報見て、明日の最終日は三原まで海岸線国道遠回りと県道を空港直行の二者択一に決め、部屋は狭いが小ぎれいな寝具で雨音耳に安眠。
瀬戸内海の島を走る②
2010.12.05
第3日12月1日(水)本日は下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、岡村島の五島を走る予定で、宿探しで苦労したのに懲り、島のリゾートホテル県民の浜『輝きの館』を予約。
最初の島に渡る安芸瀬橋(有料道路)までは、宿からは国道185で行くと5km、半島海岸線の県道279で遠回りして向かう、この有料道路ゲートで自転車は無料ですと声かけられ、パンフレットまで頂戴し恐縮。橋渡りきった休憩所でひと休みしてるとサイクリストの姿。聞けば地元呉市の人で21年のライダー暦あり、昨日今日の俄サイクリストではなく本格ライダー、定年最就職せず余生を自転車趣味に生きてる御仁、いやあ良い人にめぐり合えたもの、相手も俺っちと知り合え大変な喜びよう、目標ができ人生が明るくなったそうで感激されると、こちらも良い気持ちになってしまう。これを機会にぜひとも交流を続け、自転車の輪を広げたい。
アドレス、電話番号交換を終え、全島サイクリングで回りましょうと言うことになり、背中の重い荷物を途中本日泊まる宿に預け、地元ライダー後方に追走、あれこれ説明受けながら走り、サイクリングの楽しさを満喫した。夕方4時に宿へ戻り、呉市まで帰る彼と彼と別れたが今回のツアー最大の収穫。
広島県民の浜の宿は公共の宿、100名も泊まれる施設なのに本日俺っち独りだけの貸切状態。会席料理の夕食付オーダーもこれが会席?と疑う貧弱な食事だったが、翌朝精算で¥7.700.は部屋だけの値段でも納得でき、2食付なので文句言ったら罰当たるわ。
前が浜で広大な芝生に囲まれたリゾート木造ホテルで雰囲気良い宿、自分で布団敷く作業無ければ更に良いが…
瀬戸内海の島を走る①
2010.12.04
第2日目(火)ホテル前で輪行組み立て3分。10時出発港までは路面電車道走れば到着、方向痴でも間違いようも無いイージーコース。終点広島港(宇品)ここからあちこちに向かう船が出港するが、出航時間だった江田島(切串)行きに乗船愛人じゃない愛車と二人で¥630.
江田島到着左回りで走り出すと射撃音ひびき民間ライフル射撃場かと覗くと、立ち入り禁止立て札に警備員、自衛隊の実弾練習場とか君子危うきに近寄らず、ここは逃げるが勝ち。昼飯(チャーハン)食べた昼過ぎまた自衛隊?門前の見学者への注意書き眺めていると、満面笑みの若い守衛に『見学ですかあどうぞ』と呼びかけられ、あてなき老いぼれ、話の種になるやもと見学者の1人に加えてもらう。
計10名の老若男女の見学者は元自衛官、現有料ボランティアのご老体案内で構内見学。ここは海上自衛隊第一術科学校、かの有名な旧海軍兵学校だったの、東郷平八郎元帥、山本五十六元帥始め軍神たちの写真や遺品、特殊潜航艇が展示されていた。明治中ごろ建設された幹部候補生学校の壁面、赤レンガの表面の滑らかな肌触りには驚いた。英国からの輸入品でレンガ1枚1枚が油紙で包まれていたと言う。良いものは良い典型。
西能美島、東能美島、倉橋島と島巡り、音戸大橋はループ式とらせん状道路で橋を渡るのだが、車のインサイド並走の形で走り上ったら目が回った。島に宿が見当たらず広まで走って宿探し、夕暮れ迫っており急いでいたので折角の珍橋、ゆっくり眺める時間なく先を急いだ。
広で宿探す前に暗くなってしまい交番にSOS、年配の巡査がこまい地図で宿探し、懇切丁寧に道順教えてくれた、頼ってよかった。広駅前でホテルゲット夕飯は駅前食堂で『うどん』昨晩と雲泥の差、超がつくまずい代物、食べ終えたら暖簾外していたが、閉店直前の迷惑客だった感じ、道路反対側にあった中華屋に行けばよかった、おばちゃんごめんな道路渡るの面倒でつい…
広島に向かう一人旅。
2010.12.04
第1日目 11月29日(月)羽田空港まで自走するため選択した午後便出発は15:10、余裕見て11時過ぎ家を出て自走25km/h今回は丸子橋から環八走り空港手前『大鳥居』で輪行、広島空港からも自走したが空港到着5時近く、走り出すやすぐ薄暗くなりライト点灯、新発売のLED3Wライトが明るく路面照らすも、地理不案内と寒さに10kmほど走り山陽本線『白市』から輪行、東日本JRのスイカでも改札通過OKは便利だなあ。
意外にも乗車時間長く10駅ほどでやっと広島、行き先方向間違えたかと思った。今回は阪急の4泊5日のフリーツアー初日のみホテル付、自己選択した徒歩5分ほどの駅至近ホテルまで、転がし輪行は楽ちん愛車も一緒にお部屋まで。
夕食で外出したらやたら寒いのに驚いた、宿出る時はおいしい海鮮料理希望も、路面電車道渡った先の手打うどん店、大釜でうどん茹でる湯気充満の店内眺め、うまそうに思え迷わず入店は大正解だった。
客の注文聞くと『茹で上がりにお時間かかりますが』と了解取り、調理の相棒に『お時間いただきました』と伝え、次々来店する客の注文さばく、若者コンビの息合った連携プレーは見ていて気持ち良かった。外食チェーン店のマニアル応対で味わえない、人の温もりがうどんの味をひときわ引き立てているのかも…