俺っち自転車道追求の発端。
2010.05.31
行きたいところあれば何処へでも、自分の力で走って行ける自転車が大好き、半世紀以上自転車で走り続けてると楽しさをも熟知、他人に伝えるも容易にできるはず、となると俺っち残る人生はこれだなと思いが日々強くなり、忙しい毎日を気力充実、幸せ人生を体感し過ごせている。サイクルショップ開業当初から、走る楽しさ伝えたい思い強く自転車クラブ結成、走れ走れでむやみやたらと走りまくり、俺っち歩んだ道そのまま、サイクリングに始まり⇒ファストラン⇒競技の世界へ変貌と同経過でクラブ員に伝達。
当時はホビーレース無くレース体験するには選手登録が必要、クラブ員=ほぼ登録選手のような感じで実業団車連の大会に参加、青森県八戸のレースに夜行急行十和田に乗車、東日本の外れの地に15名もの大集団で参加、関係者をびっくりさせ西日本支部長だった問屋社長に注目された、これが『なるしまフレンド』が知られた最初かと思う。
旧くは実業団の各地での大会に始まり、二泊三日上越北信クラブラン、軽井沢合宿、山中湖合宿等々、その後誰でも簡単に大会参加ができる時代を迎え、オリベティ社スポンサード最盛期は西に東に毎年数回、宿に宿泊しレースを楽しみ諺で言われる『同じ釜の飯を食べる』を体感。走るだけでなくこれがこよなく楽しかったのよ。
同じ部屋で食べ、眠り、語り合い、風呂に入る事で共通の趣味を通して新しい友達関係が生まれる。この俺っち念願は一部他力本願的に実現可能だった。大会運営の場から引退したが参加自由の大会は各地で多く開催され、その気になれば誰でも気楽に楽しめる、俺っちも初心に帰り一緒に楽しんでみようと沖縄レース、佐渡ロングライド、八ヶ岳ヒルクライムと都合3回昔に戻った。歴連の体験は勝負に関係ない楽しみが最高と知り、俺っち自転車道の追求が命となった。
レースの最前線から引退した俺っち考えたことは、レースでなくてもこれを実現させる事が出来るだろう、こういう経過を背景に生まれた一泊二日のロングラン、春ランが無事終了した。夕方暗くなる頃八王子EDにブービーの仲間と連れ立って到着したら、待っていた多くの仲間から祝福の拍手あり感激照れるぜ。
詳細については続報でまとめるがまずはサポート各社、参加力走で年寄りにパワー与えてくれた同士にありがとう、爺は満足です。
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5/22 土曜亀ラン報告。
2010.05.22
今月から始めた朝10時出発の土曜亀ラン、寝坊助わがまま爺様が自分の都合に合わせた出発時間、冬場ならまあ寒いので遅い時間で良かったがこう暑くなるとなあ…どうしたものかチョイ悩んでるが9時発うさぎランあるから、暑さが嫌いや目覚めがお早い人はそちらを選択すればよいので、同じ時間に集まるも芸がないことよと思ってみたり、ちょい悩んでるが9時半と30分繰り上げようか?
姫様4名殿方5名の合わせて9名で出発した本日の亀コース、五日市~本宿~南郷~甲武トンネル~上野原~大垂水峠~八王子~立川CSで走行93km。五日市までのコースをいつものコースはつまらんと、永田橋~草花~平井で五日市駅前に出る。先日だまし討ちにあった手打ちそば屋と出会ったトイレで小休止、上野原市内暫くぶりの『高島屋』場所忘れて通り過ぎる失態、俺っちもボケたなあと失笑。
期待した小原の郷で『切干おやき』、日曜だけのようで本日出店無しにがっくり、腹へっては大垂水峠上れるか心配も皆元気に続くのに助けられクリア、CS到着後は姫様連の差し入れの山、食べ物飲み物事欠かずリラックスタイムで盛り上がる。
貴婦人夫妻がCS先着で亀一行をお出迎え、なんと6時半府中自宅から道志街道山中湖、三国峠往復で170km走ったそうで、けろっとした笑顔には参ったなあ、Eラン帰りの大垂水峠で座り込んでたのは昨年だろ、もしかして、電動って脚もアシストしてくれるの、だったら俺っちも使いたい。
明日はTOJ東京ステージ、雨天なので市民レース走る仲間の応援で大井ふ頭だって、俺っち人が走るを見るの好きではないけど、高貴な方から車のお迎えまでされたんでは行かねば男の恥よな。
俺っち見てても無理にがんばらんでな、気楽に走るがが長続きの秘訣よ。
三爺裏日本縦走サイクルツアー コース詳細。
2010.05.17
続いて毎日の走行コース。6/11 札幌R230⇒定山渓⇒中山峠⇒喜茂別⇒大原⇒道道132湖岸⇒洞爺湖温泉 約100km。
6/12 洞爺湖温泉道道2⇒豊浦⇒R37長万部⇒R5落部⇒道道67濁川温泉 約100km。
6/13 濁川温泉⇒森町上台R5⇒仁山⇒函館=津軽海峡フェリー=大間⇒道道大間温泉 約60km。
6/14 大間温泉⇒R338野平⇒脇野沢=むつ湾フェリー=蟹田⇒県道12今泉R132五月女⇒中島(民宿)
約110km。
6/15 民宿⇒県道12北浮田⇒R101鰺ヶ沢⇒千畳敷⇒深浦横磯(ペンション) 約90km。
6/16 ペンションR101⇒八森⇒大曲⇒牧野⇒男鹿温泉 約100km。
6/17 男鹿温泉⇒県道59宮島⇒R101てんのう⇒道川⇒西目⇒仁賀保温泉 約120km。
6/18 仁賀保温泉R7⇒鳥海⇒湯野浜温泉⇒由良⇒五十川⇒あつみ温泉 約100km。
6/19 あつみ温泉R7⇒越後寒川⇒瀬波温泉⇒深層湯温泉⇒旭橋⇒新潟市内ホテル 約110km。
6/20 新潟市内ホテル⇒R402寺泊⇒良寛堂⇒R352太田橋⇒R8鵜の浜温泉 約120km。
6/21 鵜の浜温泉⇒R8糸魚川⇒親不知温泉 約90km。
6/22 親不知温泉⇒県道2魚津⇒R415高岡⇒氷見⇒七尾⇒和倉温泉 約80km。
6/23 和倉温泉⇒県道3堀松⇒R249羽昨⇒R8小松⇒県道20大聖寺⇒R305あわら温泉 約130km。
6/24 あわら温泉⇒R1東尋坊温泉⇒R305越前海岸渚⇒敦賀⇒R27美浜⇒三方湖 約120km。
6/25 三方湖⇒R162小浜⇒R27東舞鶴⇒大手⇒R178宮津⇒岩滝温泉 約120km。
6/26 宇津母⇒R178てんきてん丹後⇒丹後神野⇒県道49⇒県道11城崎温泉 約100km。
6/27 城崎温泉⇒県道11香住温泉⇒R179浜坂温泉⇒R9鳥取⇒県道22松崎⇒三朝温泉 約130km。
6/28 三朝温泉⇒R179はわいIC⇒R9米子市⇒R431美保関温泉 約100km。
6/29 美保関温泉⇒県道2日向浦⇒R431松江市⇒R431出雲大社⇒R9温泉津温泉 約130km。
6/30 温泉津温泉⇒R9摂津⇒浜田⇒県道50有福温泉 約50km。
7/1 有福温泉⇒県道50浜田⇒R9中吉田⇒R191奈古⇒萩市内温泉宿 約110km。
7/2 萩市⇒R191正門市⇒長門二見⇒安岡駅前⇒下関市内温泉宿 約110km。
7/3 下関市⇒県道72信門司⇒県道25寺迫口⇒R10杵築⇒山香温泉 約100km。
7/4 山香温泉⇒R10大分⇒別府⇒R197佐賀関⇒R217臼杵湯の里 約90km。
24泊 約2500km弱。総予算200万円。以上が爺の企の全貌、来年は表日本、夢は死ぬまで尽きない。
3爺裏日本縦走サイクルツアーのお宿。
2010.05.15
6月10日~7月5日(26日間)札幌支部から臼杵支部まで、日本海側2500km走りきる老いぼれの旅計画のすべての宿が決定。6/10 羽田空港からANA便にて千歳空港へ札幌市内宿泊。
6/11 洞爺湖温泉。
6/12 濁川温泉。
6/13 大間温泉。
6/14 中島民宿。
6/15 深浦ペンション。
6/16 男鹿温泉。
6/17 仁賀保温泉。
6/18 あつみ温泉。
6/19 割烹旅館。
6/20 鵜の浜温泉。
6/21 金太郎温泉。
6/22 和倉温泉。
6/23 あわら温泉。
6/24 三方湖温泉。
6/25 岩滝温泉。
6/26 城崎温泉。
6/27 三朝温泉。
6/28 美保関温泉。
6/29 温泉津温泉。
6/30 有福温泉。
7/1 萩市内。
7/2 下関市内。
7/3 山香温泉。
7/4 臼杵市内。
7/5 大分空港よりANA便にて帰京。
参加は俺っち(74歳)家老(64歳)監督(61歳)
伴走車ドライバーSam(58歳)
季節は生憎?入梅時なので連日雨天も覚悟した頑固爺の決断。予定通り完走でき感動伝えられるか、コケて笑われるか男のロマンスタートまであと25。
悲しかったな、嬉しかった。
2010.05.09
土曜亀ランスタート時間CSに向かうも仲間の姿皆無?パンクしたとかで真新しい自転車で歩く、見慣れた姿が目に入る。『会長誰も居ません、どうしましょう』??瞬間思考能力停止、よい天気なので10時は暑く俺っち独りならUターン帰宅も、都心から早駕籠で駆けつけた、新車初乗りというラスター社長目にして帰るわけにもいくまい、『甲武~上野原』でも行くかに、甲武嫌って『エ!宮ケ瀬にしましょう』だって、なら先に行ってとボーラー前走らせ追走すると、立日橋のスロープで早くも足重くやっぱ疲れ残っちょるわい。パンク直しで時間ロス11時に近くで暑さ更に増し、亀ラン10時発では夏に向かう季節では遅すぎかもと反省、あれこれ考えながら走って、車間大きく開いては詰める繰り返し、どうせならいつもと違うコース走ってと頼み、稲城から尾根幹の遠回りコース案内される。尾根幹中途で先頭代わるも中老コンビの走りでは、若者と走るいつもと違ってパワー得られず、小山、補給廠(懐かし名前よベトナム戦争、全学連闘争の頃、俺っちも8mm回したな)相模原駅でトイレ、市内抜け上溝、田名、高田橋で相模川対岸を小倉橋へ向かう、宮ケ瀬やめにして小倉橋渡る。
俺っち小学生の占領下、深い溜まりになってた水面に天狗岩から高飛び込みしてた米兵達、興じるパン助連の姿が今でも脳裏に残ってる戦争の爪痕は深い。原爆二発も投下し日本人を虫けらのように殺した米国に守ってもらう条約だって、そんなの信用できると本気で思ってるのが信じられない、和人は天下泰平のお人よし。
北野で飯食べCS向かうと尿意で脳内トイレ探し、ボーラーに自宅に帰るが最短と教えられ大和田で左右に別れる、と後ろから桑関現れ喋りに尿意忘れ、EDでノートPCの設定やってもらう事に、これで日本縦断中レポート発信ができそうよかったあ、ありがとうよ桑関。
連休が終わった、次は遊びの集大成だい。
2010.05.05
4連休が終わった。5月2日 (日)日曜Eラン定番雛鶴峠。
5月3日 (月)山伏峠、正丸峠。
5月4日 (火)宮ケ瀬土山峠下り。
5月5日(水)春のバーベQ。
走った総距離400km足らず、急に暑くなった気候の影響もあるかと思うが疲れた。傍目にも疲労状況見て取れたようで、そんなに疲れて『日本縦断で毎日100km以上26日間も走り続けられるの?』と神から声かかる。
記録に挑戦してるわけでまなく、好き勝手に楽しもうと考えてる遊び、無理だったら予定変えればよし気楽なものよ、大人の遊びに心配は無用。
部屋の壁に貼ったカウントダウン数字35あと1け月と少々、宿の関係で北海道内コース変更し札幌出発初日の宿は洞爺湖温泉、2日目宿が森町濁川温泉、3日目は函館を通過し津軽海峡フェリーで下北半島に渡り大間温泉。大人の遊びは全部温泉、費用かさむが体力考えたらこれしかない、働き続けた御褒美だな。
4日目下北半島を脇野沢まで走りむつ湾フェリーで蟹田へ向かい、竜飛崎まで走る予定で考慮中だが脇野沢で1日2便の午前便に乗船できるかが気になる。このコース一度走ってるが山坂道なので時間かかりそう、朝の弱い俺っちに早朝発がなあ…
本日タイ古式アロママッサージ治療受け至福のいっとき体験、何となく元気回復したような感じだがどうかな。老体ガタが来てるようだが整備次第では、まだまだ使えそうなので35日間で調整するつもり。遊びは楽しい。
4/30 柳沢峠越え一泊ラン 復路。
2010.05.01
スパホテルで目覚めるも身体じゅうに痛み、いつもの事そのうち解消すべえと気楽に考える。昨夜スパでマッサージも考えたが、本日タイ式アロマ予約してたので、できれば我慢した方が喜び大きいと先送り、判断誤ったかなとちょっぴり後悔。CH泊誰も居らず洗濯掃除の時間不要で出発時間1時間早めて9時、あちこち分宿した仲間集まり甲斐軍団精鋭長と青で総勢12名、伴走Sam車で笛吹ラインを芦川周り上九一色村から精進湖目指す。地元若者ライダー3名と出会い信号待ちで声掛けると、周回コースの練習場へ向かうとかで速いの、『クラブハウスからですか』とは知ってるね。
地理に明るい地元甲斐長と先頭代わり追走、芦川から鶴亀二班に分かれ精進湖道路の上りに入る、軽い腰痛が次第に強くなり頂上まで7km耐えられる一桁スピードの走り、最後方誠三監督との差が次第に広がり、これはいかんと慣れぬ立ちこぎ頻繁に使い、腰痛負荷を和らげ我慢の走り頂上トンネル入口で追いつき、電池消耗ライト点灯せず後尾追従のまま長いトンネル抜ける。
精進湖畔で待つ鶴班と合流、西湖、河口湖、富士吉田から禾生『おむすび屋』で昼食と打ち合わせ、甲斐長リーダー鶴班先行、亀班家老リーダーで甲斐青、所沢横、監督誠三と俺っちで集団二分、下り勾配平地に代わり腰は楽になるも、今度は最後尾の単調な走りに眠くなり、居眠り転倒の前科から危険察知、ボトルケージから残したペットボトル麦茶口に含み大きく車間開ける。
禾生おむすびのおおみ屋、できたての『おにぎり』をおいしくぱく付き小休止、次回蓼科ロングラン携帯食に決める。禾生から残りフリーラン各自マイペース、大月で遠回りミスした甲斐青に追い抜かれ、間もなく視界から姿消える速えなあ。上野原街中で知らぬライダーに追い越され、足回さない下りスピード加速の差で前に出る、続く上りでまた追い越されマークで垂水越えと決める。
相模湖先で赤信号そのまま突破され、大きく車間あけられるも底沢カーブの坂上で捉え千木良、頂上まで4kmバトルで遊ぼうと前に出る、暫時後追い越させ再度前に出て残り3km、ところが反応はここまでで以後後方待機したまま前に出ず、2km、3kmを過ぎる、間違いなくラスト駆けと判断、直線残り200m手前で抜きに出た相手を出させ、瞬時パワー全開頂上目指し振り払い、そのまま下ってED直行到着もドン尻。
マッサー嬢にピポパ時間決め帰宅大急ぎシャワーで汗流し2時間弱居眠り桃源郷体験、帰りしな『うな重』食べて疲労回復作業は完了。本日走行135km。ソロで失速ラスト到着でもAV24kmは、長い下り基調がためだろう。