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こんな見方 考え方もあるのよ。

2008.11.29
競輪界で豪快な逃げ脚でファンを魅了し怪物と称された選手、低迷の公営ギャンブルを魅力ある競輪に変貌させるには選手強化が最大の課題。請われ就任した怪物が名誉教官として先生となり、修善寺の日本競輪学校に常勤。後進の指導に当たってる様子を取材に向かう雑誌社長に誘われ、来週隣接敷地での大会開催の挨拶現況確認もあって、昨日28日日本CSCと日本競輪学校を訪問。

前日、当日と伊豆地方を走って合流を考えるも、天気悪く電車でGOに変更JR熱海駅で11時待ち合わせ、車に拾ってもらう事になり朝9時過ぎ家を出て、横浜線9:38に乗車、新横浜で新幹線乗り換え熱海着10:42。歩きながらフト考えるとほぼ1時間で熱海じゃん、ネット検索で調べたので間違いないと思ったが、それにしても速いねえ、俺っち子供の頃熱海までは4時間の世界だったぜ。
更に昔は東海道線も御殿場線周り、特急つばめは東京→大阪8時間20分、今は新幹線のぞみで2時間35分よ、つばめは乗務員の途中での勤務交代、客車から機関車への乗り移る通路無く、石炭山をほふく前進したとは忍者の技、労働も肉体労働から精神労働に変貌してるように思う。で精神を病む者が増えている、心を癒すには走る楽しみに浸ることが何よりとPR

インタビューに同席、生徒練成の実態も見学、3日前に入校したばかりの生徒たちが3000個人TT、終了後立ち上がれない姿も目にした、年齢撤廃され30歳近い妻帯者も居り多彩、BMXチャンプ、元プロ野球選手、レスリング100kg超え等異色卵の走りを目に焼き付けた。前途多難も選んだ道なら、がんばるしかないべ怪物二世の出現を楽しみにまっとるぞ。

世界に通用する選手を育て、マイナースポーツからの脱出を目指すは輪界の責務、鉄道のスピードを飛躍的に高めた技術日本に出来ないはずはない、機材を使うスポーツで負けてどうする。製作現場と選手の一体化を提案したい。シューズがマラソンを助けたは言いすぎかな?でも、水着が水泳を後押ししたじゃん。
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11/26 E-D水曜ラン 東京オリンピックコースを走る。

2008.11.26
雑誌の依頼で44年前の東京オリンピックコースを走ることになり、本日EーD水曜ランは一周24キロ少々のコースを走ることに。本番オリンピックではコース8周194.8km走って、集団フィニッシュでタイム4時間39分51秒は時速41.8km。44年前のこの記録がどれほど素晴らしいかは、選手なら理解できると思う。この優勝者と同じ集団でフィニッシュした日本の選手が70歳で我が八王子に在住、さっそくピポパ連絡とり、駆けつけてもらって東京オリンピックのマー君(楽天の選手とは違うぜ)皆に紹介、いやあ持つべきものは友達よな。貴重な資料で埋まり雑誌記事も充実したものになるかと思うよ、よかった、よかった。

たくさん集まったEーDランの仲間達も走りは不完全燃焼だったろうが、44年も昔に世界に羽ばたいた先輩が居ったことを伝える手助けでき良かったのでは‥と思う。走るのはいつでもできるが、こんな体験したくても簡単に出来ることではないわ。

昔をしのびコース一周走って本日休処のEーDに戻り、あれこれ体験聞き語りいっとき時間を忘れた。あの頃のロードレース大会すべての大会、優勝は走る前からマー君と確定してたので、その他選手は二着狙うだけ頭抜けた存在雲の上の人だったが、今はただの爺さん『自転車で走ったら死んじゃうよ』で車で伴走、これが完全燃焼した男の姿なのよ、熱中してるけど適当に楽しんで気楽に過ごす、とこの歳(ヒデ爺73歳)になっても皆と走りを楽しめる。

どっちを選ぶっていうのではなく、俺っちの場合自分の限界を知りすぎていただけ、鉄は磨いても金銀銅にはならないのよ。なら、なりそうな奴を応援する、これがすべてと気づいただけ。俺っち先読み名手レース巧者じゃ、なに騙しの天才だろって、わかっちょるなぁお主も忍者の端くれよな。

11/24 Eeeラン雨予報でショートコースラン。

2008.11.24
何時もよりやや早めに家出て甲州街道バイパスに入ると前方走る数名目撃、大和田橋手前で追いつくとEーD前まで車利用し参加の関白夫妻と松関夫妻の4人。本日時間になっても人集まらず、午後から雨の予報90%に退いたようで参加者たったの十名。

午後2時頃までには戻れるようコースは多摩動物園→野猿街道→柚木→橋本→小倉橋→高田橋→田名→上溝(タイ焼き→)→相模原→小山内裏公園→鑓水→御殿峠→片倉→八王子市内→EーDまでの約50km。

A班トキちゃんに先導させたらコース熟知も、Eeeラン実力理解しておらずペース合わず独走に免職、スーパージャンボと先導交代、松関続き巨漢重連は煙に悩むこと無くSL重連よりは楽も、風遮ってくれても同時に視界奪うので、楽あれば苦ありだったなあ。

小倉橋から高田橋まではいっときのフリーラン区間、待ってましたあと天然記念物トキ飛び立つ、あれトキ違いだったな、本日如何したことか松関女将調子いまいち、妻君気遣う松関の走りに夫婦愛感じた。いいねえ夫婦って、持ちつ持たれつかあ‥‥コースは松関得意のコースター道路、昨日に続き本日も関取の力量発揮目にし、今度何か企画してやろうと思いニンマリ。

上溝で『タイ焼き』食べ相模原、小山の坂上った先で、尾根幹走って帰宅する狛江府中組と別れ、小山内裏公園抜け鑓水でR16、御殿峠越えEーDまで戻って関白、松関夫妻にEーD先客マルイと『そば屋』から出前の昼食。関白宅から『手造りこんにゃく』まで運ばれ、さっそくお呼ばれ美味い。姉姫夫婦も車で来処、誠ポルシェも普段着で顔見せ賑わい、雨本降りになるもそれぞれ自前の早駕籠あって心配無用、閉処時間まで談話を楽しみ散会、走り+食べる+喋るの一日が終わった。

神に守られ俺っち幸せとのろける。

2008.11.24
我が家の神との約束事は残り人生お互い好きな事を生き甲斐に過ごしましょう、俺っち選択はもちろん自転車命の人生よな。俺っち神さんはと言うと頭が下がるわ、自己研摩で社会環境浄化目指すサークル活動に没頭が夢、自然音楽を楽しみながらのサークル活動で月数回の鎌倉通い。

自分の心の中にある神なる存在を模索してるのではと俺っちは理解している。俺っち我が神さんのサークル活動とは無縁だが、すべての人間の心中に神なる心が存在すると信じてる点では同じ、神さんはサークル活動で学び習得を考え、俺っちは独力で習得を目指してる、方法論が違うが求めようとしてるものは共に同じように思うがどうだろう。

すべての人間の心の中に神なる心があるのに、ほぼすべての人々がその存在に気付いていないない。それを気付かせる勉強会が神さんが通うサークル、宗教活動してるわけではなく、宮沢賢治の生き方が模範のよう、せいぜいがんばってやり遂げなさいと見守るだけの俺っち。悟りというものは自力本願あるのみ。神と神がごっちゃになってわからんって、いいのいいのよ俺っちの戯言よ。

本日早朝から鎌倉詣りで朝起きたら神居らず、前夜言われてたが朝寝坊で朝食にありつけず、仕方ない朝食抜きでEee参加じゃと、支度整え茶一杯だけ飲んで出発と2階リビング入ったら、粽がちゃんと用意されてるも残念食べる時間無く、小さな粽ひとつ食べながら家老不在じゃ急がねばで、皆と走りを堪能‥

本日千秋楽Eeeラン関取三人衆が揃い踏みじゃない揃い走り、本日初参加の新入幕加わり四天王、こ奴がこれまた見かけによらずよう走るのにびっくり、もしも彼らが普通の体重だったら全員間違いなくAラン常連だろうな、と思いながら後を追いながら大垂水峠越え。関取四人衆には脱帽じゃ。

無事EーD帰処のんびり休憩してると空っ風の上州走行中の関白から雪が舞ってる電話あり、福井県下で家老一行は雪中行進だと、アンバランスの計画はいつも耐寒ラン、素面じゃとても参加できん、俺っちも一度酷い目にあったな、あんときゃ俺っち人生一番の寒さ体験だった、これほんとよ。

11/19 E-D水曜ラン 思いは同じく同志愛と”うな和対面”よ。

2008.11.19
予報では寒くなると強調してたので、ボンディングの上に長袖ウインドブレーカー用意しドア開けたら、それほどの寒さは感じない好天気にウインドブレーカー無しで出発5分でEーD。本日員数少なく家老と俺っちに特急、パンダの女性2名と高尾の川崎で計5名。

行き先はパンダに昼の餌は『うな重』が食べたいと言われ小田原『うな和』、家老先導でいつものコース、愛弟子パンダ見送りでEーDに顔見せたサダ爺、市内抜ける道中でサダ爺後方に続き、半世紀前もこんな形で、汗振り散らす彼の後方に続きトレーニングに熱中したなあ‥と突然脳裏をよぎった。2回の脳梗塞体験も不死鳥のように回復、さすが小田原までは走れたものではなく、市外に出るところで見送り終了は賢明、サダ爺無鉄砲は今も変わらず自重よ。

厚木運動場トイレ休憩ここから家老は本日折り返し、午後から病院へ薬受け取りに向かうと言う、年間3.000kmも走れば病知らずの健康体と思いや、意外にも高血圧が悩みとは無理せんでな。どこも何ともない俺っち幸せよな、でもな、昨晩体重が60.5kgで体脂肪10.5%と体重が60kgをオーバーし初めて体脂肪二桁を記録した。日曜日雨だったので一週間ぶりのサイクリング、体重く調子悪く向い風もあって脚軽く回らなかった。加齢すると継続が何よりも大切と痛感。

大礒でサダ爺から、3時頃EーDで温かい鍋用意し待つので全員で戻っての電話あり、3時戻りは無理もOK返信、『うな重』予約入れたら満席、繁盛してますなあ待ちますよと伝え、強い向かい風もなんのその食べたい一心gogo。同志1名が待ってますよ??なんと奇遇先客酒豪侍が居るじゃん。

江ノ島ソロラン横浜中華か小田原うな重、迷った選択うな重になり、強烈な向い風道中食べたい一心で『うな和』に向かった湘南道路、同士が先行してるとは知らず走った、小田原道中走った俺っち一行う~ん心は一つじゃん。

帰りは送りで楽走、先導酒豪侍の好ペーサーに助けられ快調なペースで進行、公所信号で大型右折車無理に抜かず坂下りしたら、坂下信号赤になり信号待ちで車間大きく開き、金目川渡り小田厚側道出るも前方に集団姿なし、まともな追走では俺っち脚力では追いつけない、助っ人よと反対車線に出る。運良く前方に信号発進のトラックあり、労せずこれに続くも44~46kmのスピードではノック繰り返し、しかも途中で右折して助っ人も終わり、やっと500m程度詰めたかなの感じではまだ遅れてるかも?と半信半疑で先を急ぐソロラン、金田陸橋信号先で厚木運動場到着の電話あり、俺っち先行に安心すると尿意、田んぼをのんびり走り立ちションじゃわ、昭和橋で暫時待って合流なる。

高田橋渡って坂上から成り行きでペーサーに、重い足を軽やかな走りに見せかけ必死の思いでサダ爺待ち受けるEーDに案内3時半着。腹減ってないはずが熱い鍋あっという間に空よ、体調不良でソロランしてたキリン姫現れたときは、匂いだけ残ってただけごめんな愛ちゃん。侍愛ちゃんと、くの一愛ちゃんここで初対面。直前クラブ新加入で帰った新人が立川の川崎、これから帰宅する本日メンバーは高尾の川崎、メンバー多いからややこしい、覚えるのが大変、覚えてもらうのも大変、皆工夫して認識して貰えや。

初期のヒデ爺ブログ集ができたよ

2008.11.15
クラブ誕生の頃から毎月発行していた手書きのクラブnews、時代の趨勢でパソコンワープロのプリントnewsに変わり、手書きの方が味があって良かったと言われるも、訂正加筆修正が自在にできるパソコン作業を覚えたら、作業労力桁違いに大変な手書きに戻る気に到底なれなかった。

老眼になり書き綴る字体も次第に大きくなり、旧い仲間にこの頃字が大きいので通勤車内で読むのが楽だよ、と言われ改めて小さい字が書けなくなってる事がわかり、試行錯誤の学習でパソコン作業を習得できたことを感謝した。そう1993年58歳のころサラリーマンだったら定年近い年齢だったが、JCRCにすべての時間を注入燃える青年のように、寝食忘れ大会開催に熱中の時代だった。

『うちの社長よそのクラブ強くして自分のクラブ弱くしてしまってる』の声耳に届き、事実そのとおりと気づき痛く反省、JCRC運営のすべてを後進に譲り自軍建て直しを図るも、今度は俺っち脚力低下し練習すれど納得できる脚力戻らず加齢を認識、軟弱別動隊組織を思いつき誕生したのがEeeラン。

今月4日で満4年経過誰もが納得の大盛況、自転車ブームの追い風受け更なる楽しみ追及に毎日充実した人生送ってる。”終わりよければすべてよし”っていう言葉がある、残り人生仲間とともに走りの楽しさ追及、皆に喜ばれる企画提案あれこれやりたいいこと、たくさんあって超忙しい。

今月期末なので事務作業残り大変だが来期は、鬼娘に事務作業引き継がせ遊びに集中じゃ。来年は糸が切れた凧になるかも…

おっといけない脱線した、肝心のこと忘れたわ。実はクラブnewsだがその後、ブログなるパソコン日誌を始めたところ、改めて掲載するnews記事も書けなくなり、クラブ員からの記事も途絶え自然消滅状態、ネット嫌いの仲間からクラブの様子を知りたいの声あり、ではブログを読んで貰いましょうとプリント、そこで製本ブログ集作成を思いつき昨日完成納品された。

本日からEーDにて希望者に配布。雨の日や寒い日にでも読み返し、暇つぶしになるかと思う。走る楽しさが少しでも伝われば‥と、願ってる。尚、配布はEーDのみ走って来れば誰にでも只であげる。

続編も後日完成予定。

九州サイクルツアー報告 最終日。

2008.11.13
朝から天気予報通り、今回の旅で初めての好天気。正午の飛行機なので9時出発では空港までさほどの迂回路走れず、峠越えしての山道コースで大分空港めざす。有り金はたいて土産物購入、残り小銭で自販機大分茶買い込み、羽田到着切符買う金なしに随行者運ちゃんに小銭お恵みヘルプミー¥270ゲット、京急3駅輪行以降自走なので皆の衆とさらば。

ころころ転がる輪行袋で京急自販機眺めると大鳥居まで、え!¥300.じゃん¥30足りねえぜ、隣駅天空橋は¥150.仕方ない天空橋でいいやとプッシュもなぜか切符出ません、どうする爺さんと自問自答の試行錯誤、子供切符で行くか思案してたら、隣に見覚えある遅刻社員の顔、これはラッキーお前¥30.出せと脅迫、切符が買えたじゃん持つべきものや優良社員?次郎長のひ孫よこれで出発時遅刻のペナルティー取り消しじゃわ。

改札出ると毎度おなじみ道路脇組立解体3分の簡易輪行、ガス橋渡り土手下通り走ると、白線上にキャタピラーの痕跡かゴジラの踏み跡か知らんが凹凸あって路肩走れん、キープレフト信条の俺っち車道側走行は運転手に迷惑かと気になる、車のことしか考えない行政が情けない。歩行者と混在のCRは走りたくないよ。雨足強くなりマークままならず、次々車が脇通過で走りにくい次はリムジン横浜からR16、または環八大原から甲州街道だな。

5時までには帰りたかったが雨足強くなり、スピード控えたので5時を少時まわり暗くなってしまい、足も寒かったが雨坊主との約束はたし満足。5日間で400kmをややオーバーした距離しか走ってないが意外にも疲労感残った。来年もこの時期に同じく4泊5日、予定では香山温泉→佐伯→長湯温泉→香山温泉で実施予定楽しみにしてや。

臼杵支部と関係者、参加の皆さん方に楽しく過ごせたことを感謝します。ヒデ爺。

九州サイクルツアー報告 四日目。

2008.11.13
この夏臼杵の長老、同年輩爺さまに案内され若隠居点滴小僧、俺っちの四人で走ったと同じ佐賀関回りの海岸線コース、海を眺めながら潮風に送られたコースも本日はあいにく向い風、佐賀関手前で小休止トイレ。燈台に向かうヒルクライムコースで競う社員達と別れ、Eeeラン組はそのまま大分市内に直行10号線へ、社員班は臨海産業道路を走って大分市内で国道10号線に入り、高崎山自然動物園下『マリーンパレス』で合流し昼食。

竹田で食べた¥600の名物鳥天定食に比べ、味質量ともに劣って¥1.000.は観光値段だね。街の食堂でなるべく食べ零細商店助けようぜ。豊後豊岡で大型車両多い国道と別れ県道24号線、速水から浄土寺へ抜けるこの道が結構な坂道、姫監督も難儀だが後続俺っち更に大変、ガードレールで一服しては追走の繰り返し、平地に変わるとスピードあげても平然と追走するこの人も不思議な姫様よな。

初日宿と同じく山香温泉『風の郷』離れ三棟貸切の分宿、来年度分予約も済ませる。夕食はステーキ定食、隣室元美男美女連歌うカラオケの喧噪、和室なので障子に耳あり筒抜け状態も、成田で同じ迷惑まき散らしたのでは苦情も言えんわ。趣味は多様老い先少ない御仁の余興、和(輪)の精神で赦しちゃう楽しき哉自転車人生。

夜中のテレビ天気予報全国的に晴れマークが何故か東京だけ雲と傘マークじゃん、あれ?もしかして雨坊主…そうです、皆と走る時は雨にしないでよ、俺っち一人のときはなんぼ降ってもかまわんからって、いつも俺っちの口癖。今回も雨模様の連日だったが辛うじて降ることなく走れた、これは願い叶ったからかも、なら何があっても羽田からは自走せんと約束違反、明日は必ず走るぞと決意した。

九州サイクルツアー報告 三日目。

2008.11.13
3日目。長湯温泉から竹田市まで向かって、国道57犬飼、臼杵石仏拝観後臼杵市に至る90kmほどのコース、前日に比べコースも楽とあって紅葉見物の提案あり、急きょ久住高原までマイクロバスで向かい、台風襲来無く落葉しなかったので例年になく鮮やかという紅葉、自動車専用私有道の往復は目の保養。

帰路途中で有名な久住ガンジーファームに立ち寄り、俺っち買い物皆さんソフトクリーム食べまくり、長湯温泉出発は11時過ぎ竹田まではすぐ、街中で昼食希望も月曜定休店多く店探しで骨折るも、営業中の地元人お勧めショップ『丸福食堂』が美味廉価、¥600名物鳥天定食は安う~帰りがけ集合写真所望され店前でパチリ、次回行くと店内に掲示されてるかも‥

臼杵に向かう途中から支部員の合流もあって、本日臼杵支部員5人加わり総勢22名の大名行列。臼杵石仏到着遅くなるも希望者のみ拝観すませ、夕暮れ臼杵市内のビジネス『すが野』へ到着、ここは閉店中のホテルBARに自転車収納。

夜は臼杵支部から10名加わり親睦交流の夕食会。14年前に支部誕生これで正式には2回目の親睦交流の夕食会、遠く離れても近いクラブ同志としての交流を続けたいものよ。来春のロングランにはぜひとも数名の参加を実現させるべく、受け入れ態勢を準備したいものよと考えた。

いつまでもレースではなく後進に道を譲り、輪を広げ次を育てることも肝要、自転車の楽しみ方の幅を広げるよう期待する。

九州サイクルツアー報告 二日目。

2008.11.13
1日遅れ本日到着する家老出迎えに随行車両は大分空港、家老乗せそのまま高速で湯布院ICへ向かいR50逆走で安心院方面へ。朝9時山香温泉出発した本隊は臼杵支部員2名を加えた18名、昨日と同じく2台の地元の伴走車付き、まずはR42安心院めざし曇天寒い1日が始まる。

安心院で休憩所探すも逆方向に断念コンビニで我慢、湯布院へ向かうR50マラソン大会で狭い道あちこちに観客。緩やかな上り勾配路はやがて本格坂道に、健脚社員達が次々先行し長い坂道に集団バラバラ、前から坂を下る家老とすれ違う中腹コーナーで後続待ち、関白姫は意外にも軽い足取りで到着するも、最後尾の姫監督なかなか姿見せず出迎えに向かった家老に任せ、身体冷えるので再出発伴走車からレインコート受け取るも、湯布院に向かう長い下り低い体感温度に震えた。

紅葉の日曜とあって湯布院超混雑で民芸村での昼食30分の時間待ち、周辺ぶらつき家老の別居?家老門から居間に入り臼杵から駆け付け参上支部長交え遅い昼食。食後は湯ノ平温泉から久住飯田南部地域開発道路走って長湯まで約40km、これがまたまた坂道で最後方の姫監督見守り続くも、時速4kmが瞬間3kmに落ちよくぞ足もつかず上ったものよと感心。上りがこれだけ遅いと平地になっても足回るはずないのに、なぜか平地は速く走れるこの人ってど~なってんの…

長湯温泉『友喜美荘』離れ屋風情の小さな宿、料理もおいしい料金もリーズナブル、食堂脇に臨時自転車収納場所確保と言うことなし。来年度全館貸予約しちゃったぜ別コース走ってもここを陣屋は決定じゃ、本日走行約90km強の距離はコースきつく房総150kmに匹敵、よくぞ走りました姫様お二人お見事でした。

会席料理と温泉に満足5部屋に分宿、食後マッサージ呼び疲れ癒す。

九州サイクルツアー報告 一日目。

2008.11.13
11月8日(土)九州社員旅行兼臼杵支部と交流親睦四泊5日サイクルツアーの初日。早朝4時起き5時監督の送迎車到着、青梅から社長弟、2回から店長と孫の点滴が乗り合わせ羽田空港へ向かう。

朝一便選択は大分到着後直行30kmの宿に向かって、国東半島遠周り班別コースで走りを楽しむプランから、渋滞始まる以前なのでほぼ1時間で空港到着、1人寸前チェックインとなったが予定どうりの大分着も天気おもわしくなく、空港内で朝食後臼杵支部からの1名を加え2班分けで出発も雨足やや強くなり、山に向かう迂回コースを変更海逆走中の健脚社員班に連絡、杵築経由最短距離岸線回りに変更、雨止み杵築城見学してのち宿へ向かった。

雨模様の天気心配し遠く臼杵、直入から到着した伴走車両2台同行で、18名の侍に伴走車3台は6者に早駕籠1台の豪華関白姫行列は香山に向かう。陣屋では離れ2棟と2部屋に分かれまずは温泉で冷えた身体を温める、宿は日帰り温泉の付随施設なので土曜日とあって盛況。

会席料理の夕食は空腹の侍食に向かなかったかも、食事中前年知り合い今夏体調不良で孫が点滴治療で世話になった、地元の老士からの陣中見舞あり感激。知り合ったのもこれは何かの縁、大事に育てたいものよと改めて思った。

映画撮影中の姫監督侍相手にインタビューで走り終わったあとも忙しく、同行カメラマンも身体に装具つけての走りながらの撮影はご苦労さんですなあ。僅か走行42km予定の半分不完全燃焼の初日は終わった。

わが生涯のグランプリタイヤ コンチネンタルGP4000SR。

2008.11.07
明日から4泊5日の社員旅行は九州大分サイクルツアー。変速ギヤ調子が悪いのと、前輪タイヤ寿命で交換すべく立川店へ出かけた。最近はクリンチャーが殆どでチューブラーは少数派、俺達オールドマンはチューブラ好きが多いようだ。高級タイヤのトレッドが路面に食いき発生する音耳に、意識を集中させ没入した遊びの世界、安物タイヤでは決して発生しない独特の音色に酔った、昨今のタイヤは高級品であっても、あの独特の音色は出してくれない。しなやかな乗り心地も遠い昔で今は味わえない。出かける時充満したエアも帰る頃は明らかな減圧、毎日空気入れが一仕事、性能悪いポンプに泣かされた、いまどきサイクリストは恵まれてる信号と車の多を除けばな。

現在俺っち常用タイヤはドイツ製ハンドメイドのコンチネンタルグランプリ4000SR。このタイヤが凄い、何しろ丈夫で呆れるほど長持ちする、今日取替えたのは前輪で昨年10月25日から使用、実に1年以上距離で11.000.km走行日数で133日間もパンクすることなく走れた。トレッドが一部めくれ、よくぞここまで走れたものよと感心、功績を評価EーD壁面に展示するので眺めて下され。

昔の高級タイヤ(クレメンセタEXT)等はゴム質良く長持ちしたがそれでも10.000.kmはトレッド摩耗で無理だった、昨今スリックタイヤはトレッドが無く、摩耗するとゴム下の布地が見えてくる、耐パンク材が挟まれてるので丈夫だが、硬くその分乗り心地が犠牲になってしまうのは仕方ないことよな。

このタイヤ逆転の発想で作られている(詳細は転じ壁面にて解説)ブチルチューブなので空気漏れがなく、無精者向きで俺っちにぴったし、一度空気充満すると1ヶ月ほどそのまま使用、長期旅行向きなのよ。扱いに全く気遣い要らんので、ごつごつする乗り心地悪さも我慢できるわ。

Eeeラン亀班先導で常に走る路面はキープレフト、パンクの危険性高いを承知で左路側帯走り続け、空気圧もMAX8低め設定で使用開始、空気補充する頃は5気圧位低下で走ってる事考えると抜群よな。後輪は部分的に下地が見えてきたので、北海道ソロラン走る直前の9月初めに交換したが、こちら昨年8月から使用8.300kn走っている。

この道半世紀、使い続けたチューブラータイヤも数あるが、このタイヤこそ間違いなくグランプリタイヤだわ。

11/5E-D水曜ラン 珍客交えて湘南平へ。

2008.11.06
突然程遠い話でスマン。

その昔青春のころ、熱く燃え熱中したロードレース(自転車競技)東京オリンピック開催決定、八王子で自転車競技大会が行われることが決まり、市内有志が集まり自転車自転車競技会が誕生したのが俺っち25歳昭和35年(1970)だったかと思う、八王子市内を走るオリンピック自転車ロードレースコースが決まり、昭和37年(1972)このコースで行われた『第31回日本アマチュア自転車競技選手権大会』に参加した。

我がアルバムに張り付けられた新聞切り抜き記事のレース記録、
  162キロ
①佐藤 栄 (日大) 5:41:34:5
三本 実 (東京) 5:45:48:3
鳴嶋 英雄 (東京) 5:49:13:0
④田中 靖高 (大阪)5:53:57:9
⑤北垣 勝之 (東大)5:53:58:3
⑥鳴嶋 勇 (東京)5:54:35:5
ゴール直前まで集団で走る現在のレースと違って、後半になると先頭集団ばらけてサバイバル個の争いになった、タイム差でその辺素直に理解できるかと思う。このとき俺っち27歳、2着だった輪友(イギリス在住)がひょっこり一時帰国、きのうのEーD水曜ランに参加し総勢9名で『湘南平』まで走り、大礒の『そばや』で美味いそば食べ夕方EーDへ戻った。帰路途中から家老EーD急行帰り、湯水ポットの電源ON、大判焼の大盤振る舞い等気配りには感謝感謝。

レース当時27歳だった俺っちも73歳、8歳年下の彼も65歳共に走るは40数年ぶりかも、未だレースへ挑戦の気力充満、今回の来日もどこかでレースやってないと意欲的、運良く日刊グランプリ『西湖』が数日後開催知り申込代行したが、本日彼の走り眺め若いのは気ばかり、敵も己も知らずでは勝利など程遠いわ、年とって人と争うは愚かよと‥俺っちもつい数年前思い知ったので、あんまり偉そうに言えんけど、仲間と走りを楽しむが走りの真髄と悟れや。

25年の海外生活が農耕民族を狩猟民族に変えてしまった‥のか海外進出結構、でも日本人は大和民族の心を失ってほしくない、に交わればで無理なのかね。

EーD八王子~富士森公園~二本松~田名~昭和橋~厚木運動公園~小田厚側道~公所~湘南平~R1号大礒そばや(昼食)~花水橋~平塚IS~厚木~昭和橋~高田橋~ふれあい科学館~田名~川尻~目白台~西八駅前~EーDの110km。家老、監督、旧財閥、輪友、爺に姫2人その他で一行は9名。次回は家老、監督、爺が九州サイクルツアーで不在につきEーDランなし、いや集まった仲間同士で楽しんでや。

11/3 祝日Eeeラン有馬ダムで珍事発生。

2008.11.03
昨日の日曜日は常連コースの雛鶴峠らん、袖カバーに短パンで走りめちゃ寒かったので、本日防寒対策バッチリで参加。ウインターシューズまでは使わなかったが、指きり手袋は薄手インナー手袋を使い、手指は問題なかったもののボンディングに長袖下着はオーバーだった、走り続けたら下着汗ばみ気持ち悪かった。

行き先は有馬ダム、祝日で員数少なく約30人は二班分け、R16瑞穂から岩倉街道、笹仁田峠、岩倉温泉、山王峠、ラスト有馬ダムへの上り道が短いが急坂、スピード6km/hに見切りつけられ次々追い抜かれ、関白姫、姉姫にまでに見捨てられ情けない状態でダムサイドによれよれで到着、先行家老班と圏外で連絡付かず、腹減ったので途中見かけた『自信あります手打ちうどん屋』へ向かう。

走路に残った見回り同心家老班を案内し到着、神輿うっちんシートピラーのボルトが折れ、木工所で即席加工した板サドルとは散々な記念日よな。なにって、朝方『会長結婚記念日おめでとう』って言われたので、『お前よく覚えているな』って言ったら、彼も同じく結婚記念日だってさ、17年目と47年目その差30年、うう~ん神に別段何もせんかったが期待してるのかな?‥なことないな。うっちん奴は罰があたったのよ、俺っち得意の忍法煙に巻いてセーフ、30年の経験の差なんちゃって。


全員が到着皆でそろって昼食。『合い盛り』大盛り注文一気に食し、身体寒気で『温かうどん』が正解だったと思うも後の祭り、小沢峠上り巨体桑関が軽やかに上る姿眺め追う気力失せる。トンネル三つ抜けると青梅でやや体温まり、回転上げ二分した先行集団を追うも信号多く追走ままならず、EーD迂回する時間もなかろうと日野橋直行も先行集団不在即行トイレ。

ここで解散高回転で走ったので日野橋からは、トップギヤで筋力トレラン徐々にペース上げ日野坂頂上33KM/h、筋トレはこの歳になると翌日に持ち越すのでつらいけど、軽いのばかり回しとると、重いの踏めなくなっちゃうんでこれもやらんとな。家で汗かいた下着着替えてEーDへ向かったら、拝島橋解散の数人休んでいた、俺っち達も拝島橋で一時解散が正解だったかもな。
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