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わがまま大好きなの 許してな。 

2007.04.26
明後土曜からも3連休二泊三日で500kmほど走る忍者ツアー控え、腰痛完治させるには休養がベストかとソロラン自粛していたの。本日用事あって立川まで軽く走っただけ、帰宅後メーターたったの26kmなのにどっと疲れ、眠くなったので数時間の昼寝。欧米化じゃない老齢化すると休養充分、久し振りに走るほうがなぜか疲れるんだなあ。毎日走り続けていた方が反って楽のように思う、家老が毎日走っても過労にならないわけが理解できる。

家探しで路上にあった案内地図眺めてたら、通りがかりの年配者俺っち容姿眺め、カッコいいですね失礼ですがお幾つですか?、あれこれ立ち話で同年代とわかり親近感、とても御歳には見えません鍛え抜かれた体は素晴らしい、私も毎朝ウォーキングやってますが足元にも及びませんと、足を見て鍛え方が違いますわと絶賛された。『継続は力なり』走り続け半世紀だもんなあ。

俺っちの場合走るのが好きと言っても、日課で走るわけでは無く、走りたくなった時だけ走り、行き先も決めず家を出ることもしばしば、気分次第で方向も速度も変幻自在、何処走ってるんだか自分でもわからん時もあるほど、自ら名付けて忍者走。MTB嫌いローラー台嫌い、走るのは路上だけ、修理も嫌い(じゃなくて出来ないんだろって…う~んそうかも)それでよく自転車屋になれたね、なるのは簡単だったけど…スタッフに恵まれたのが幸運だった。

明日は夢の超特急『リニアモーターカー乗車会』のご招待。何回も応募はがき出すもハズレで諦めていたのにラッキー。感謝。謝々。ダンケ。エッもう一声だって それ大嫌いだぁ。
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春の松本美ヶ原温泉道中記。

2007.04.24
日曜日のことEeeラン終了し、高尾山口駅前広場に到着すると、土、日一泊で上諏訪温泉までの松本ラン試走道中終え、家老班精鋭数名すでに帰着し、一行中4名討死復路は輪行帰宅したと聞く。

過日ヒルクライム八ヶ岳大会で武田軍勢甲斐軍団の脚力眺め、七里岩道中討死を心配したら、何とまあ、家老班数名が往路の七里岩道中で討ち死だと、仲間の脱落見た家老から、七里岩道中は亀藩(E)には荷が重いのではと、諫言受けたので七里岩コースは取り止める事にした。

俺っち担当の亀班は、大型車両避け韮崎から広域農道で穴山橋、武川村から道の駅『はくしゅう』まで田舎道走り、甲州街道を迂回し『はくしゅう』『蔦木宿』と相次ぐ道の駅で休憩、富士見峠を越え諏訪湖岸へ向う。湖岸でラスト休憩後、最後の難関塩尻峠を越え頂上で隊列整え、東山山麓道路から美ヶ原温泉へ向って6時前宿舎到着予定。

家老藩(C)については、当日の状況で家老の判断で決める。社長(D)藩も基本的にはE班コースとほぼ同じくになるかと思う。七里岩道中攻略は秋の蓼科道中(9月8日~9日予定)までお預けだ。

本日現在参加者65名中女性参加者9名、30名編成のサポート体制は万全で、絶妙な先導で完走の満足感を体験させてあげようと考えている。あと残り数名分受け入れ可能なので、この機会に仲間と共に走る、長距離ランの楽しさを満喫してほしいと思っている。

思いやる心の交流は素晴らしい。

2007.04.22
朝椅子から立ち上がる時の腰の痛み強烈、それでも自転車に乗ると腰痛意識することなく、集合地まで走るも全く問題なしとはどう云うこと~。本日、ファンライド誌の取材で走るショットとEeeラン仲間の集合写真撮り、一泊ランで諏訪湖遠征組留守中だったので、立川A班の杉山姿見てうさぎ班リーダー任す事でき助かった。

杉と大殿うさぎ班、俺っちと宴会奉行で亀班担当し約30名が二班に分かれ目指すは定番雛鶴峠。相模湖休憩から杉山藩はメンバー組み換え、旧甲州道犬目宿、猿橋経由鈴ケ音峠越えのハードコース、残った亀班はいつものフリーランコース。坂で無茶踏みして腰痛誘発避け、本日2回目参加の元大学CCOB、都心から輪行参加した主婦とテールラン。

いつもの休憩場所、雛鶴まんじゅう屋『つるや』、毎回煮物、漬物、梅干その他手づくりおふくろの味、本日の総菜はサイクリングの人達に食べさせようと、お手伝いのおばちゃん達の持参品とか、添加物使わない味をいまどきどこで味わえる、本当に毎週有難いことで感謝感激よ。心が通い合う付き合いを大事に育てような。かって立川ラン全盛期にも、猿橋に同じよう交流できたお店があったが、おじちゃんもおばちゃん相次ぎ亡くなり倅の代で廃業、年月は経過し今はお店も無いわ。

雛鶴まんじゅうや次回から隣の戸締り店舗開けて、俺たち一行の休憩場所として提供するわと店内見せてくれた。窓から川風通りこの夏は快適に休めそう。杉山藩1時間半待ちで到着、やはりコースきついのだな。先々週Eeeラン全メンバーがこのコース完走したのだから、恐るべしEeeラン実力と潜在能力、俺っち内弁慶もそういつまでも続きそうもない。さて、次はどうだまくらかすか忍法磨かねばと心した。

腰が痛いの、どうする。

2007.04.21
今月8日(日)Eeeランで130kmほど走ったあと、友人とJRと車で物見遊山の温泉旅行、身体どんと休めたのは良かったが、翌週日曜八ヶ岳ヒルクライム、前日土曜と当日走って110km。その後またまた五日間ドンと休み、本日土曜ラン主力メンバー諏訪温泉一泊の旅で不在とかで、呼び出しうけて家老土曜ランに参加。

集まったメンバー5人だけ、みどり特急、大殿に高政皆ヒルクライムで敵わなかった相手じゃん、も一人蚊トンボみたいな奴も大垂水上り始めたら突然元気だし速いんじゃん、後ろ姫様以外居らずじゃ参ったぜ。そのまま追走してれば好々爺、内弁慶にそんな我慢はできません頂上前に忍者スパート、ごぼう抜きはできたものの練習不足露呈で頂上アヘアへ20km/hよ。師範代相手でなくて救われた。

上野原からは高速側道沿い走り『まんじゅう屋』発見、ラッキーとばかり一服一休み、この店5月7日朝NHKBSで放映されるとか。犬目宿で折り返した県道30号、道幅広く路面良好車両少なく帰りは下り勾配で極楽コースよ。今後Eeeランで多用することになりそう。

上野原で国道20号に出る寸前で右方面に迂回新コース探し、これが急登坂で無駄足使って新装の工業団地抜け、20号横断上野原市内をパス、日連れから吉野橋で甲州街道。前走る他所の集団追走は、結果的に集団クチャクチャニしてしまい、後で考えたら悪かったかな。でも、先に行ってくださいと断りいれながら、再度上昇してきたのは相手になって欲しかったんだろうと解釈している。

高政と先頭交代バトルに応戦中、後方からどんと抜かれたらそのまま引き下がるわけにもいかず、腰痛発生で無理したくなかったのに、忍者の性がつい反応してしまった。何度もスパート掛けながら俺っちチギルことできず、頂上前にギブアップは惜しい最後まで頑張れ。今度は頂上32km/hのスパートできたのでよしや。

家に帰ってから腰痛ますます強くなった。う~ん、まあ明日は回復するべ。



八ヶ岳ヒルクライムを楽しむ その二。

2007.04.17
八ヶ岳ヒルクライムのリザルトが発表され、詳細に眺めビックラこいたなあ、もし~。Eeeラン仲間みんな俺っちより速いんじゃん、エ!どうして??毎週のクラブランでの皆の走りあれは何なの、はたと気づいた、そうか、老い先短い爺を喜ばせようと皆で仕組んだ筋書きがあったとは、愚かにも忍者自認の拙者とあろうものが、全く気づかなんだ許せ皆の衆、爺はすべてにアバウトなんじゃ。Eeeラン仲間の脚力向上脳裏に焼きつきめちゃ嬉しい一日が過ごせた。二日たって疲労とれ心地よい気分に浸っている。

俺っち素晴らしい愛ある仲間に囲まれ幸せじゃと痛感、で、おとなしくしてたら好々爺だが、そんな殊勝な気持ち更々無く、意地悪爺の本領発揮し皆に悪戯しかけて、遊ばせてもらおうとたくらんでる次第、各々がた一瞬なりとも油断禁物ですぞ。この『くそ爺』の罵声を期待しながら、雨上ったら切磋琢磨の走りに熱中するつもり。どこまでも底意地悪い爺さまよ、とアリババ娘に言われそうだが悪戯は楽しい限りだ。ww

Eeeランクラブ西と東に弁慶居るので、となると俺っちさしづめ内弁慶だな。弁慶三人そろって揃い踏みの弁慶祭、いつか実現させたい夢舞台とはなんのこっちゃ。

Eeeラン仲間は皆元気でけっこうだったが、どうしたわけか地元なのに甲斐軍団の不甲斐無さ、武田の精鋭騎馬隊の名が恥ずかしい。こんな走りで松本まで末脚大丈夫なのか心配じゃ、地元七里岩ラインで討ち死にするぞ。

伝え聞いた話だがAランメンバーのしょっぱい奴、ヒルクライム終了後自走で自宅まで帰ったらしい、これだよ遊びの真髄は流石A班メンバー、来年は俺ちも塩っぽい奴の仲間入り自走するからな、しかも往復じゃ。

いやあ何だかんだで八ヶ岳は楽しかった。社運をかけた勝負にニッコリ笑顔の僚友に乾杯、来年はフィーバー間違いなしだな。旧友パナソニックの重鎮と久しぶりの再会も嬉しかった。
遅ればせながら最高の舞台を有難う。

昔のデーターを眺める。

2007.04.16
昔のクラブの記録帳を何気なくめくって、書き込まれたデーター眺め少々驚いた。
何かって?

1987年9月20日(日)立川、神流湖往復ラン参加者29名完走18名。往路92km。2時間48分。AV32.6km。復路92.5km。2時間51分。AV32.4km。往復で184.5km。5時間39分。AV32.7km。完走者に俺っち、監督誠さん、JUN店長の他、その後オリンピック選手になった有名人の名前もあり、更にその3日後今度は甲府まで輪行した後、韮崎、野辺山、佐久、下仁田、藤岡、寄居、立川まで240km走り、8時間33分。AV28.3km。こちら23名参加、俺っち、監督誠さんに島貫の名前もあって完走者17名。翌月10月4日(日)オリベッテイツール第4戦千葉ステージチャンピオンクラス、俺っち予告優勝したタイムが90km走って2時間13分04秒。メーターで92.3kmありAV41.6km

千葉ステージを前にクラブ員皆に優勝宣言した手前、走りこんでたはずが、データー眺めるとそれほど練習してない。今どんなに走りこんでもこんなAVは出せない。9月末迄でたった8000kmしか走ってないが、これって中身の濃い練習してたのかねえ。毎回が戦闘モードだったりして、もしあの頃今のような距離走ってたら、たぶん、只今ゲートボールに熱中だったかも。。。
良かったなあ完全燃焼しなくて。

あまりにも走っていないのは驚き(年齢51~52歳)
1月 11日 671km。
2月 13日 918km。
3月 21日 935km。
4月 17日 1150km。
5月 22日 892km。
6月 17日 700km。
7月 16日 549km。
8月 21日 1111km。
9月 17日 802km。
10月13日 680km。
以上1987年の記録今から20年前のこと、年間1万キロやっとだよ。

仕様車はヤマクニ7000アルミフレーム。53×38 SPB167.5mmクランク。カンパ6S軽合フリー12,14,15.16,17,21。ホイールはマビックSSC 12s。SPBSQハブ32H。Fクレメンカンピオニシモ。RビットリアパヴェCG。足回りはプロ仕様で金かけてたな。

八ヶ岳ヒルクライムを楽しむ。

2007.04.15
お遊び計画序盤部分終了目的達成?そう自分も楽しみながら確り皆を楽しませ、遊びの素晴らしさの一面を体験させることができたのではと独り納得。遊びは奥が深い。

12日は松本で左団扇と出会い地元のアッシー君案内でアルプス公園、あづみの公園、翌日13日は高遠城跡でお花見と洒落、温泉三昧で日本人の幸せを満喫。あんたを誘ったが断られると思ったが承諾され、ほんと嬉しかったと言われたが、お互い残り少なくなった人生よ、遊び大好き俺っち断わりませんわ・・

大会前日14日佐久平で大殿に拾われ宿泊ホテルで祝宴、後で考えたらみどり姫の優勝前祝いだったとは、うかつにも爺は忍者でありながら気付かなかったわお歳だのう。最近の大殿の深読みには感心するばかり、流石じゃ爺は頭があがらぬわ。

車の通行完全規制した八ヶ岳ヒルクライムは最高気に入ったので、来年は前日土曜日に山伏、志賀坂、十国と峠越えして大殿の砦(千曲パークH)に一泊、翌日ヒルクライムに参加後清里~韮崎から甲州街道高尾まで走り続ける超ハードランを皆で楽しもうかと考えた。ヒルクライムのタイムが俺っちタイム上回った者には、特製クラブジャージを進呈する企画なんてどうかな。

続く遊びの中盤は18、19日両日家老と朝霧高原に出向き、待ち受けてる関取交え富士の雄姿眺めながらの3者サイクリング。有難い誘いには感謝感激だぁ。俺っちは幸せ者よと感謝。

Eeeラン初コース花見のプレゼント。

2007.04.08
ちょい寒い感じで迷った下着が長袖だったので、ウインドブレーカー持たず半袖短パンで家を出る。日差しあったが風冷たく、春爛漫とはいかなかったが、いつもと違うコースで雛鶴目指した。

相模湖休憩後甲州街道直進して上野原市内を右折、起伏ある旧道を鳥沢へ出て、猿橋でトイレすまし鈴ケ音峠上り、雛鶴峠トンネル抜けていつもと逆方向からまんじゅう屋入り。このコースEeeラン初コース、甲州街道の上方山道走るのでハード、遅れ気味ながら姉姫がよく走り後方走者を残し高尾山口に到着、Eeeラン実力向上を改めて実感。

談合坂SA見下ろす苦しい上りも、道端両側に咲き乱れる白、赤、黄の花に緑の葉が鮮やかに映え、思いがけないお花見ランに心奪われ勾配忘れたほど。手入れされた桧がしめじ状に林立、植物も人の手が必要で共存共成。サイクリングも力走する仲間の姿眺めて走ると、限りないパワー湧き出し歳を忘れた走りが出来る。皆から凄いパワー貰っているなあと痛感、時折一人で走る独錬にも支えられているなあと思った。

以下明日から月末までの日程(めちゃ忙しい)
 9日 友人達と新宿で夕食会。
12日 引退の左団扇と美ヶ原温桃山宿泊JRの旅。
13日 引退の左団扇と美ヶ原温泉滝の湯宿泊JRの旅。
14日 ツール前泊佐久平宿泊大殿と合流。
15日 ツール・ド・八ヶ岳ヒルクライム。
18日 家老と朝霧高原へサイクリング買手屋と合流。
19日 買手屋宅宿泊3人でサイクリング。
28日 2泊3日450km忍者ロング走初日猿ヶ京宿泊。
29日 ロング2日目群馬CSC102kmレース参加高崎宿泊予定。
30日 ロング3日目秩父山中走。

てなわけで29、30両日Eeeランパスよ。

寝坊で予定めぐるましく変更。

2007.04.07
ジャンボの土曜亀ランに参加するつもりだったが大寝坊、目覚めたのが9時過ぎで断念ソロで出かける。最初小田原『うな和』目標だったが、橋本で気変わり宮が瀬からヤビツ峠に方向転換、小倉橋から串川橋へのアップダウンでダンプからちぎられ、赤信号に阻まれ左折根古屋、愛川町の工業団地脇から昭和橋へ下り、大工事中の田んぼ道を抜け座架依橋渡り麻溝、上溝で『たい焼き』食べ、尾根幹から京王多摩川で昼飯『うな重』計画めぐるましく変更。

鎌倉街道で2時では向かっても休憩時間でお店はクローズ、ならば変更と方向転換多摩市乞田から野猿街道、いつもの帰宅コースで『ますの寿司』買って帰ることに。野猿峠頂上直前の信号待ちから発進ダンプ、直後にはりつきマークし頂上46km/h余裕で越える。売り切れ目前の好物『ますの寿司』もゲットでき、帰宅後至福のひと時うまかったなあ。

100km走りたかったのにメーター75km。走り出してから行き先転々と変更、早めの帰宅になったが雨が降りそうだったので正解だったかも。久しぶりにタイヤ加圧したら跳ねる感じで、尻がカーボンサドルかと間違える感触受けた。

提案 郵便配達は体力勝負の自転車で。

2007.04.06
良い天気だったので親父の見舞いに青梅の病院へ向かった。すでに二度見舞い参上の神さんによれば、言うこと聞かず寝床で暴けるがため、ベットに手足固定されてるらしいモンスター患者。
気の毒に面倒みてる弟夫妻、相部屋患者や看護士に謝り回りの毎日とか。『老いては子に従え』ではなく、『老いても子を従えて』だぜ。面倒見ているのが俺っちでなく良かったな、俺っちだったらとうの昔に見捨てたな。そう親父がよく言っていた言葉『親でもない、子でもない』っていう言葉をそのまま返してな。体力消耗したか爆睡中の親父横顔眺め、そのまま病室を後にした。

ちやほやするからつけ上がるのであり、放置がいちばん身に応えるはずで、人間誰にも相手にされないほどさびしいことは無い。以後放置するに限る。『反面教師』って言葉があるが、わが人格形成は親父の大きな影響を受けている。肉体的DNAは否定しようもないが、精神面はできる限りDNAを否定する人格形成を常に心がけた。俺っちには幼児体験でしか思い浮かばない、母方祖父の心が流れてるような気がするが・・・これを確かめる術はない。

あまり気乗りしない見舞い参上がため、のんびり走りを楽しみながらの遠回りしての道中、山越え目論むも舗装が地道に変わり、巾狭くなり終に途絶え引き返す失態。田舎道郵便局探す道すがら赤いバイク発見、ラッキーと近くの郵局在り処尋ねると、一口で説明できない場所なので御免なさいと断られ、方向はあっちですの言葉に仕方なく自走探索すると、細道を二度ほど曲った先に大きな看板。あっけなく見つかり、そこは方向痴の俺っちでも説明できる場所、程度低い局員でも身分保障された公務員、まあ結構なことですなあ。田舎といっても都下だぜ、郵便局は変わってない、まず赤いバイクを赤い自転車に変えろ。

飛脚黒猫の民間会社ではとても勤まらない。バイクに乗って煤煙まき散らし、法規無視して歩道を走る郵便配達も、昔は自転車配達で郵便夫は健脚揃いだった、郵便局は自転車配達を復活させるべきだ。自分の縄張りもよう説明できない輩には、体力勝負で地球環境にやさしくしかないだろう。

今日も天気良かったが、昨日山越えしくじり腰痛く乗る気になれず、整体行くか悩んでたのに、夕方用事で普通車で走ったら、やたら足軽くペダルるんるん軽~く回るの、これってどうして・・・・

枯れ木も濡れたら元気回復。

2007.04.04
天気いまいちも雨上ったと思えたので、変速付前篭、泥除も付きの普通車で立川店まで用達。レーサーなら苦もなく走れる坂も重量車では大変、なるべく坂のない道選び迂回しながら出かけ、途中新規オープンの道の駅『滝山』に立ち寄り、食品スーパー特売日かと思う、賑わい見せるレジ前行列に『どんこ』と『切干し』持って並んだ。忍者の好物は野のもの海のもの。

不慣れな新人レジ係りの対応で、買物かご持った客がおろち行列で店内大混雑。3台揃えたレジも応対店員未熟で本領発揮せずも、習うよりも慣れるが速いはEeeラン振り返ると実感。がんばれお姉ちゃんたち。

寄り道で思わぬ時間食ってしまい、帰り天気崩れまたも雨降り出しびしょぬれで帰宅。おお寒~咲いた桜が戸惑ってるだろう。脚の筋肉痛相当なもので、わが手で揉んでも痛く蓄積疲労も限界状態、こうなったら災い転じて福にしてやるわ。

引退した名古屋の友から電話入り、『お花見』誘われ二つ返事どころか『待ってました』は、俺っちも遊びが好きだね。温泉はエェなあ、でもなあ残り人生考えると、遊び呆けても知れたものよ。どうせいつか死ぬなら遊ばにゃ損々だい。遊びは人を大きくする、これ本当のことよ。独りで遊んでも面白くない、で皆誘っちゃえっていうのがヒデ爺忍法の極意、術中はまったな。

で、考えたは二泊3日忍法走り満喫ツアー期日4月28日~30日。同伴希望者は連絡されたし密書送信。御用金大枚2万両ほどが必要。断わっておくが、ただただ走るだけで酒は付かんよ。

諸般予約の関係で12日(木)締切善は急げじゃない爺は短気

東の女史から宝物は京の牛若のもとへ。

2007.04.02
自転車運動会の超目玉景品大当たりゲットは、いつもEeeラン女性たちの最後方で走り、女性たちの走りを監督してるかのような女史、その名を聞けばビックリ本物の監督だってさ。

その場は何もわからずお持ち帰り、一夜明け高価な事とサイズ合わないことを知って、どなたか似合いの方に差し上げてとお店に持参。高級品だけに普通の人なら、わが身に似合いのものと交換申し入れかと思うが、女史の場合は大違い、差し上げますとは寄付だぜ。

俺っちもあまり欲は無い方だが、こんな気前のよい方は希有かと思う、しかも女性だからなおのこと、お付き合いしたくなっちゃうよなあ。

それを聞いて爺ちゃん即閃いたのは、先月末で帰郷した京弁慶夫人牛若にぴったし似合い、これは誂えたようなストーリーじゃん、ひとり悦に入り善は急げと、只今女史にその旨報告快諾を得たので牛若に氣が入った餞別じゃ、慶べ近日中に届けるわ。

てな事で専務、あんたが抽選したデローサ・マクロ完成車は京の牛若が愛用活躍させることになりました。高価な品物を本当に有難うございました。ベストの結果で一件落着となりましたことをここにご報告いたします。
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