別れはつらい! 爺さん。
2007.03.31
今日で東京を離れ、京の郷里に帰る京弁慶夫妻、昨夜俺っち家に別れの挨拶に来訪、1年間があっという間に過ぎ去ったが、たくさんの良き仲間に囲まれ得難い体験ができた事を感謝してたぞ。一回り大きくなり胸張って帰るご両人眺め、人に喜ばれる幸せを満喫したな、これも皆のおかげ本当にありがとう。宝の山に囲まれてる俺って幸せ者だよなあ。人生のふとした出会いから、その後の人生が大きく変わる。アルカンシェルの人生に向かって力強く第一歩を踏み出した京弁慶に皆で乾杯しよう。ついでにEeeランにもな・・
現代は世相荒廃末代の様相を示しているが、良いものが生まれるる前段階で悪いものが出尽くしつつある、そんな状態なのではとふと思った。日本人って素晴らしい民族で、世界中見回してもこんな民族は他にいないぜ。『思いやり予算』っていう言葉知っているかと思うがあれは、肉食人種にはできない考え方かと思う。
素晴しきかな日本人、皆で日本人に生まれた幸せに感謝しよう。
力で世界を支配することは不可能だが、心で世界をまとめることは無理な事ではないのではと思う。列強が自国の利益のため収奪オンリーの植民地支配をしたのに比べ、日本人は自国の利益のみでなく、植民地住民のためのインフラ整備をも心がけた、だからこそあの敗戦まもなくの頃、台湾で日本人は歓迎され一目置かれた、あの体験は決して忘れられない、祖先に感謝の念がごく自然に湧いてきた。
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爺は愚か者だった。
2007.03.29
DMマイウエイ君から和菓子と厚手パットつき短パン届き、早速着用試乗でソロット近場を走ることに。約60kmほど走ってみたが、尻痛解消も腰痛発症はやはりサドル?に原因の疑いあるも、も少し様子見てから判断したいと一瞬は思ったが・・クッションの全く無いサドル眺め、木製サドルにまたがっていると同じようでは拷問じゃん、サドル股の間に挟んで走れる若者ならいざ知らず、足腰衰えた老齢者では使いこなすは無理なのかも。
帰宅したら疲れどっと出てマッサージ椅子で仮眠、歳を自覚し広場でゲートボール楽しんでる好々爺と違い、ダンプ相手に戦闘態勢はまさに恐々爺。ゲバ娘に見られたら何言われるやらわからん。短パン着用思わず力んでしまった哀れな結末。
高くて良いは当然で安くて良いを高評価する俺っち、このサドルとはおさらばを決意、わが社が誇るBR1トップライダーに試乗させる事にした。興味ある向きは詳しくは暫時後店で評価聞いてや。
ルックス最高あちゃら言葉でエレガンス、忍者自認の老いぼれ爺に似合うわけは無い、そんなこと最初からわかってたって、さすが大殿お目が高い、高貴なお方は違う。爺は思い上がったでござる。
沖縄みやげ琉球泡盛『守禮』三升壺、我が家に届いてるので一族郎党集め、爺肴に飲みまくってや。天下泰平一族安穏何よりもこれが一番。
殿ぉ 東弁慶にやられたあ。
2007.03.28
昨夜麻公から体調不良連絡あり、伊豆行きを中止したのでホッとした。俺っちも運動会から軽い風邪気味、200km超えるロングはできれば走りたくなかったので、何となくラッキーな感じ。最初ソロでその辺少し走ろうかと思っていたが、そうだ水曜日なので水曜家老ラン参加じゃと、集合場所に向かうと後方から福ちゃん来る。おう立川Aランも水曜練習会だなぁ、とあれれっ!?、集合場所日野橋には誰の姿もなし、じゃあ立川錬に参加するかぁと店前に向かう。
よそ者交え8名の最後尾に加わり、来た道戻る感じで高尾橋から大垂水峠、峠アプローチの速度速く追走いっぱいになり、頂上手前100mで心拍上がってアウト。先頭走るは京弁慶同様Eeeラン出世頭の東弁慶、お主俺っち見込み通り剛腕ならぬ剛脚、走り方さえ覚えればウッツシィシだぞ。
千木良信号で追いつくも、心拍あげたぼろエンジンではもはやここまで、大月から大峠へ向かう連中を見送り小原の郷でトイレ休憩すると、資料館のおばちゃんに喋りかけられ雑談休憩となる。帰り大垂水峠22℃本日超暖かく、石垣と変わらないわ。高尾駅前左折し五日市へ向かう、お目当て『そばや』本日休業、そうだ水曜じゃん。
五日市駅前左折二ツ塚越え下った先、霊園墓地で母親の墓さがし、場所うろ覚えで墓標クリテで発見、墓地間違ってなくてよかったぁ。次骨折入院で手術した親父の見舞、こちら神さんから聞いた場所に病院無く、聞きなおして出直しだなと帰る途中『そばや』看板、腹減ったので立ち寄ると、店のばあちゃん吉本出身かと思う調子良さ、喋りどうしで話上手こちらもつられ、爺婆コンビの掛け合い漫才は楽しかったな。
『そばや』の婆ちゃんに聞いたら、何と病院は遠く離れた全く違う場所じゃん。教える方も聞く方も地理痴痴、神さんが教えたスーパーと俺っち頭脳理解のスーパーも、駅も全く別物どうにもならんわ。俺達パンと麺、クッキーと煎餅、ケーキと餅菓子好きなものは全く別物よ、でもなあ俺達二人はラブラブなの、分かったかちょっかい出すな。トトロありばば娘よ。
どうした?どうなった?それでどうなる?
2007.03.26
『自転車運動会』終了後、過密日程を無理やり突然の『沖縄・石垣』の旅。おきなわ県内ショップが力併せ開催する合同練習会眺め、ショップ共催イベントを学習我がイベントに応用可能か。初めて石垣島に渡ったがこちら、度重なる『沖縄旅行』に厭きた贅沢﹖社員達を楽しませる、次なる社員旅行の企画が胸中にあった。Eeeラン命の俺っちこのところ社員放たらかし、反省は麻公指摘がなさせた、くの一の字はこわい。忠実な社員達はEeeラン仲間同様、俺っちの大事な宝物に変わりはない。
あいにくの日曜日朝も暗いうちから豪雨、なのに集まった奴が居ったとかで実施したと聞き驚きあきれた。沖縄にはEeeラン仲間を上回るキー坊揃ってるようだ、恐るべし沖縄パワー。世界に羽ばたくライダーは沖縄から巣立つかも。マスメディアで踊らされてるカメダ眺め、過去のボクシング世界チャンピオン誕生思うとあるいは?あるよ。
初体験で~す。
2007.03.22
これまで沖縄は数え切れぬほど行ったけれど、石垣島は初体験でただ今石垣島のホテルに到着。沖縄本島は暑さを感じるほどではなかったが、更に南にある石垣島はやっぱ暑いわぁ!っていう感じ。好物ソーキそばの看板目にし遅い昼食、期待の味はいまいちの感じ。しばらく走った先の高台にあるホテルが今日、明日の宿。部屋に入って地図眺めたら暑いはずだよ、ここ石垣島は沖縄本島より台湾に近く、沖縄本島まで450kmもあるというのに、台北まではほぼ半分の260km、海上に道路あれば一日で走ってゆける距離だな。パンツに毛玉できるはサドルの刺繍が原因、これなら問題ないと太鼓判のカーボンサドル、やたら値段高いのが問題だなと思いながら使い始めたのが今月初め、冬季でパンツ重ね着パットも厚手がために問題なかったが、こちらで薄手パット短パンで走ったら尻が痛い。問題ありだよDMデビット マルクスじゃないデビット マイウエイ君。
前回はパットに爺の柔肌??刺激され疼痛発生、今回は硬いサドルが尻直撃で苦痛の走り、マイウエイに運動会の日時変更伝えなかった、どうやらこれが悪かったようだ、ロングランは5月12,13日レッツゴートゲザー怒らないで。でもなあ、あのサドル値段高すぎるよ。
めちゃくちゃ嬉しくって、感涙。
2007.03.19
昨日第5回運動会を終了。レースでない大会の限界か参加者数伸びず、更に今年は会場が成田市との合併で借用に手間取り、許可が遅かったこともあって百名に満たず。協賛各社から集まった膨大な景品類、すべて配布は思いとどまり、秋頃レース未体験者にも楽しめるような大会開催を思いつき、問屋各位の賛同得たので実現に向け努力する。歳も考えずまたも仕事を一つ増やし、燃える爺さん疲れを忘れる。疲れもせずやる気がわいてくるのも、皆から頂いてるパワーがなせる技、俺っちって幸せな男だよな。運動会の前夜夕食会のあとも、郷里に戻る京弁慶から、忍者爺の生きざまに多くを学び、良き仲間たちと知り合え、1年間があっという間に過ぎてしまった、京に戻ったら俺っちから学んだことを伝えてゆけるよう精一杯努力すると、大感激の感謝の言葉もらって思わず感涙。俺っちも一緒に遊んでるだけのつもりなのに、関取の告白も全く同じくだが、どうしてこんな感謝の気持ち抱いてくれるの~、感謝され怒る奴は居らんが、それにしてもめちゃくちゃ嬉しいぜ。
青春の頃、坊主か教師になりたいと考え、親父に無理させて最高学府の門をくぐったものの、サイクリングの魅力にとりつかれ、期待したろう親父裏切った挙句が自転車店開業よ。修理できない売るのは好かん、ただただ走るだけの恐持ておやじだったのに、いまや忍法道場の主と自認、若者たちを煙に巻いて信奉者続出、芸の道を一筋が理解されてるのかね。
"好きこそものの上手なり"本当にそのとおりだな。
唐突だがあすから1週間沖縄に向かう、今回は石垣島に足伸ばす予定。祝日、日曜と2回Eeeラン欠場だ、旨いの買って帰るから酔っ払い共あとを頼むぞ。
飲まない仲間もこの際忍一文字逆らうな。1週間したら戻る、俺っち皆が大好きだい。
おめでとう、幸せは努力の賜物書いてや。
2007.03.15
四股名が無かった『関取』も、今や嫁取り二世も誕生家は自宅を構える出生、仲間の幸せな姿みると無性に嬉しくなるわい、ましてや俺っちに感謝してるなどと聞いたら、飛びあがる程嬉しいわい。ただ一緒に遊んでいただけで、こんなにも感謝感激される俺っちって果報者だよなあ。四股名は『あさぎり』かあ、爽やかでいい名前だ。昨日渋沢に向かう坂下で小田急線をゆっくり走るJRの特急『あさぎり』を目にしたばかり、重厚な車体はまさに『関取』の感じで、クラブランで毎回びり争いのバトル時代が懐かしい。Eeeラン発足の原点が忍者爺と関取のあの頃のバトルにあると言う、あんたの指摘ズバリ的を得ていると思う。
立川ラン復帰目指し鍛練重ねるも、納得できる脚力にならず、『関取』失った痛手で走る目標失ってた時、ふと参加できない遅い人たちがたくさん居ることに気きEeeラン思いついた。もしあの頃関取の存在無かったら、Eeeラン誕生してなかったかも・・お礼を述べるのはむしろ俺っちの方だよ。ありがとう書いてや。
今やEeeランの楽しさにどっぷり浸かり俺っちの片腕になった『家老』連れて、来月暖かくなったら朝霧に飛んでゆくから、あんたの宝物に会わせてちょう。
再度の伊豆とんぽ帰り229km。
2007.03.14
先週に引き続き再度日本CSCまで、前回と全く同じ道海岸線周りで走り山伏峠を越えた。違ったのは前回は往路全コース俺っが先導だったので、言うならばマイペース走行。今回は麻公も何度か先頭代った事と一国でトラック追走の繰り返し、結果的にはこれが仇となり、ソロで走った200kmを越えた夕闇せまるラストでハンガーノック発生。あいにく小銭持ち合わせなく、ミルク紅茶1本だけドリンクし、なんとか家にたどり着いた『もりそば』一杯の昼食ではカロリー足らず、更にR246山北まで寒い向かい風との戦い、これで必要以上に体力消耗、松田、厚木間は回転上がるもR129に入ってパタッと止まってしまった。
前回よりタイム大幅悪く、疲労感も強く、神さんに一言『歳を考えなさい、朝早くから暗くなるまで走ってたら無理しすぎだよ』『まだ死んだら困る』だと、出たかその言葉実は待っていたのよ、なんて言っちゃって・・・懲りずにまた走ろう。忍者はなあ~自分の命尽きるときが分かってるのよ、まだまだ当分死なんわボケないわ、健在そのもの悔しかったら誰でも俺っちに引導渡してみろ。こちとら酒こそ飲まないが、青梅で足折って入院先で強がり言ってる親父(94歳)の一番弟子だい。
飯食べて暫く経てばいつものこ憎ら爺さんに戻って、孫を足蹴に掛ける体力回復だい心配なか。そこらの爺とはものが違うわ。はちゃめちゃ爺だい(神さんの手の上で遊んでるだけなのは充分承知しておりますです、ハイ)。
八王子→R16御殿峠→厚木インター西コンビニ(麻公と待ち合わせ)→小田厚側道→小田原→熱海→山伏峠→CSC下(すし市場昼飯)→麻公と別れソロで大仁→三島→R246御殿場→松田→秦野→厚木→昭和橋→高田橋→寺田→めじろ台→八王子(自宅)
走行229km。 時間10時間26分。 AV21.9km。
楽しい忙しさは気分爽快だわ。
2007.03.13
午前中立川店まで普通車でゆっくり向う、用達すんだ帰り後ろから会話に夢中のお母さん二人の声、どこまで走っても声はすぐ後ろから離れず、ゆっくり走ってるとはいえ俺っち走り、主婦がママチャリで会話の余裕は?と思ったらやはり電動自転車だった。やがて自転車も普通車すべてが電動自転車になるかも。自転車に乗って足の鍛練は昔話になる時代がすぐそこまで来ているのだ。もしかして同士世代はラストエンペラーじゃない、ラストサイクリストになってしまうかも・・・まあそれは無いだろうが、自分自身を鍛えようという殊勝な人たちが激減しつつある憂うべき世相。Eeeランに楽しみ見つけ、俺っちと遊んでくれるみんなは宝物だよ。
仕事眼鼻つきやっと運動会の種目骨子に手をつけた。今年は個人TTとチームロード主体、立川対神宮ベストチーム選出対抗戦メイン。あとは会場で思いついたら何を始めるやら楽しみにしてや、少ない人数なので反って終日充実した、楽しい展開が出来るはずだと逆転の発想、ものは考えよう落胆することないわ。
飲み放題夕食会は良かったが、当日の会場までのサイクリング、案内人(俺っち)が試走完了してないようなので、これが見ものでもしもを考えると、各自用心のためマップ用意が賢明かも。台湾の朋友自転車一筋の男、張勝凱(チャンセンカイ)が久し振り来日会場入りする。俺っち夢は広がりそう、これも楽しみだウフッフ。
明朝また伊豆CSC往復ロングなので、今夜は早寝したほうが良さそうだな。
やること後回し、まずは楽しんじゃえ。
2007.03.12
やることじゃない、やらねばならぬことが沢山ありながら、すべて放置し天気が良いからって、自転車乗ってルンルンよ。ロングランの後は足も軽いなあ、小倉橋からのダンプ追走も軽すぎ足余り、こりゃあ絶好調と思ったら何だ追い風じゃん。相模川渡って海老名から上溝方面に方向変わったら超向い風、先ほどの絶好調は大ウソで絶不調、何とか弱そうな車両に目を付け追走はコバンザメ走法。鯛焼き屋でひと休みしたら、距離走ってないのに疲れドット。そうだヴィスタOSも調子悪く、作業に支障を来たし疲労倍増してるのかも、ウハウハしてるBゲイツに天罰を。
夜になって気を取り直し作業続行、何があろうとも大丈夫夜には強い、忍者は昔から闇の中で生きながらえたものよ。八ヶ岳ヒルクライムの申込完了、七十歳の手習いならぬ自分との戦いだあ。衛星写真の日本列島眺めてみろ、国土の80%以上が山林だぜ、自転車楽しむのに坂が弱くてどうするよ。まずは坂を克服することだ、どうすりゃいいって、反復練習あるのみだい。走りまくってみればわかるわ。
麻公と223kmランデブーラン。
2007.03.07
我社の紅一点麻公が女だてらに日本CSCまでロード自走し、ピスト練習したいと言うを聞き、そこまでやる気あるなら、一緒に走ってやるわと稽古台申し出るも、よく考えたら俺っち朝が弱~く、冬の早朝早起きは何よりも辛い。早く起きるには早く寝れば少しは楽だろうと、前夜真夜中12時に眠ったので、何とか早朝6時前に目覚める。『あんた良く起きられたね』と神さん、心の中で『やる時はやるさ、人の助けは借りん』朝は時間経つのが早く『とろ昆布ころうどん』食べ、お茶飲んでいるとすぐ出発時間。でもここ数日春の陽気だったのになんでこんな寒いの~、仕方なくアソスのエアーブロックにパールのウインドブレーカー重ね着だよん。
待ち合わせ場所が厚木インター西のコンビニ前8時過ぎ、厚木でも近い金田陸橋と違い遠く、1時間ではとても到着無理なので6時50分出発。家出るやすぐ輪行袋とライト忘れに気づくも、戻る時間惜しくそのままGo!
8時過ぎ到着も麻公姿無く、暫時のち『いま金田陸橋です10分でつきます』の電話、10分で到着したらプラチナメダルだい、着くわけねえべと日向ぼっこ、こんなことならライト取りに戻っておけばと後悔。半時も待たせ『パンクしちゃった』と意気消沈の姿見せる。
コンビに後にしたのは9時過ぎ、小田厚、一国、国道135熱海多賀で11時半昼食。山伏峠越えてのCSC入り、教官に挨拶のみで本日はとんぼ返り。往路全先導だったのでお返しか、帰路麻公前に出るので小田原まで尻眺め状態で走り、小田原から疲れ見えた麻公から再度先頭代わって、246厚木金田で町田経由川崎の麻公と別れ、真っ暗に日が落ちた129大型車多い新昭和橋避け、中部工業団地から高田橋、田名へ向かうつもりが、団地内で方向見失い昭和橋から田名を抜け帰宅。ライト持たないため、対向車に迷惑かけたようで悪かった。
麻公 本日は朝早くから夕方遅くまでよく頑張った、ほめてやるわい。
走行距離224km。。 走行時間9時間35分。 AV23.2km。
光陰は百代の過客なり。
2007.03.04
昨日に続き本日も暖かい天気、昨日の着衣花粉付着で洗濯まだ乾かず、本日頃合いの着衣なくアームカバーに半袖ではちょっと寒そう、で仕方なく真冬用ボンディング。靴は愛用DMT取り出し薄手長指手袋で、久方ぶり遠路飛脚便で三島から駆け付けた友侍と家を出る、途中からマルイと沖電が合流、更に日野から家老と奉行まで加わり集合地へ向かう。昨晩飲みすぎ撃沈で本日参加危ぶまれた顔もすべて確認、あれぇ?全員集合じゃん、走るのはそれほどでもないが皆さん酒だけは強いね。今度俺っちの親父と勝負させたいわ。90歳を過ぎた今も泡盛斗甕抱え込み、呑んだくれの親父にその昔、酒を嗜まない俺っち『お前も可哀そうな奴よのう』って言われた事がある。でも、酒を全く飲まなかったがゆえに、何物にも代えがたい宝物を手にすることができ俺っち幸せだい。
他人に迷惑かけない限りなんぼ飲もうと自由だ、酒を飲んでいる至福の顔見てるとこちらも楽しくなるわ。俺っちも年取ったよな。で、今日も解散後『香蘭』でお決まりコース、メンバー?そうあんたが思い浮かべた顔触れと同じよ。休業日の店を開けさせる酒の力恐るべし・・・
ず~と、ず~と昔俺っち青春時代、スタートラインに並んだ仲間が酒臭く、『ゆんべ前祝いやっちゃたよ』と平然とスタート。こいつらは足も強かったぜ、俺っちにはとても真似できない事だったよ、でも俺っちもラブホ昔はこんな言葉はないわな、連れ込み宿から朝駆け参加したから、別な意味で豪傑だよな(笑)今となったら良き想いでよ。
郷里に戻る京坊弁慶夫妻に乾杯。
2007.03.03
昨日から取り付けたカーボンサドル(ドイツ製)の調子確かめたく大垂水峠、相模湖、鼠坂と走り帝京大グランド脇から水道局水源地抜ける、クラブランでは走らない道で青山へ出て、串川橋、小倉橋、高田橋とアップダウン路面走るも調子いまいち、田名、上大島、造形大からR16号片倉右折し北野から野猿峠往復し『ますの寿司』買って帰宅遅い昼飯。土曜日でしかも天気良かったこともあって、ロードレーサー数多く見かけ春も近しの印象受けた。家に帰ってからが大変で着衣すべて洗濯機に放り込み洗顔も、くしゃみ連発、眼は痒い鼻水出るわで堪らずも、今年は走ってる最中のくしゃみ連発が未体験で僅かに救われてる。これも薬に頼ることなく、スギ花粉とはお友達だいの、心がけが功を奏していると勝手に考えている。走っている時何とか耐えられれば、家に帰ってからなら泣かされてもええわ。
夕方暗くなってから届いた運動会の景品自転車、倉庫の中に入れるに大苦戦、今日は京からやって来た京坊弁慶夫妻の送別会なのに、若干遅刻で会場到着すまん。昨年5月から仲間入りしたお二人さん、初参加したヤビツ峠思うと長足の進歩、自転車の楽しさに夫婦して没頭、楽しい毎週末過ごせたようでよかったね。一年間の研修上京だったので、職場に戻るは必然も別離は残念だね、でも考えれば、東京と京都は同じ日本遠くても近い。
京坊弁慶とはこの夏祇園祭で再開、五条橋上でなく琵琶湖一周にて、京で更に磨きをかけた脚力とお手合せならぬ足あわせ、家老とセットで伺うつもり、楽しみが1つ増えた。
素晴らしい仲間たちに囲まれ、俺っち幸せな人生に感謝。ありがとう皆の衆。