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下北の旅三日目、自転車の若者。

2006.09.28
早起きしようと昨夜早めに寝たので4時目覚める。もう少しだけ眠りたかったが、朝から雨になる気配に少しでも早出が正解と考え、支度整え階下ロビーに行くと、後輪パンクしてることに気づく。すぐ修理するも暗いのと、初体験デープリムに悪戦苦闘やっと修復は30分後。

この朝の30分が大きく響き、降りだす前にむつ市まで行きたかったのに途中で本降り。降っていたら無理しないで寝てて下さい、主人がむつ市でも野辺地まででも送りますからと言われたが、野辺地だと往復160km以上、むつ市でも50km以上もあり、親切の度合いも桁外れ。人間関係の絆を強めるため、親切に甘えようかとも思ったが自分に厳しくを選んだ。

目指すはむつ市の大湊線駅ではなく、あくまでも東北本線野辺地駅。強烈な雨降るもコンビに雨合羽が結構役に立ち、保温になり通気性皆無も汗ばむ事無く役立った。水しぶき上げ通過する大型車の風圧が凄まじい。

一昨日歩き青年とであった感動の道の駅『よこはま』、トイレ休憩で立ち寄ると今度は『日本一周自転車の旅』ボール紙に記入し荷物満載のMTBが駐輪中。また感動第2弾かと思いきや、四国から出発4け月になるというこの若者、貧乏人にお恵みをと書き込みお布施のおねだり。『雨だとどうするの?』に『基本的に動きません』だと、あきれたのはこれだけではなく、タバコ取り出し喫煙しながら応答には怒りすら覚えた。

似非サイクリストにカンパするほどお人よしではないわ。あきれた奴に用はないわと雨中を野辺地に向かってバイバイした。ここにはオートバイ2台も退避中で根性無しの巣。野辺地着9時半過ぎ。特急と新幹線乗りつぎ夕方帰宅。

走行距離 三日間で327km。 今月トータル2.493km。まだ3日間残っているが別にやる事あるので、3000kmは実現できなかったが、月間新記録更新は出来ている。まあ上等だな。

体重54.3kg。 体脂肪6.1%。 内臓脂肪1%。 基礎代謝1347Cal。

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下北の旅二日目、Fメカ破損する。

2006.09.27
200km走るには早めに出かけるが楽かと7時朝食8時出発。宿泊地下風呂温泉から左回りに大間、仏ケ浦、脇野沢、むつ市から恐山、薬研温泉コース頭に描くも、大間からの国道338海峡ラインがアップダウンきつく予定時間から大幅に遅れる。途中立ち寄った小さな公園、掃除中のお父さんが声かけてくれたので、思いがけず細かな道路情報入手は感謝。

仏ケ浦過ぎた処でFメカがチェン巻き込み破損、脇が沢方面へ向かうも途中時間的に無理かと判断、戻って県道走る気になれたのもこの知識が役立った。かわうち湖、川内川沿いの内陸走る県道に入るとスピード俄然アップ川内で再度海岸線へ出る。

腹減るも期待の道の駅『かわうち』生憎火曜日が定休日だった。湯の川温泉まで向かうも食事場所なしに閉口も、日帰り温泉内食堂で薬膳食にありつけたので助かる。以後むつ市までほぼフラット路面で楽だったが、むつ市内で3時過ぎでは恐山、薬研温泉の山岳路は無理と判断、明日回しに計画変更、そのまま直行でホテルに戻る。雲やたら多くなり明日の天気が気になる。

昨日料理食べ切れなかったので、本日ご飯食べず料理だけ完食狙いも煮イカ一皿食べきれず。テレビが明日は確実に雨模様と伝えるを眺め、寝起きすぐに出発する事を宿に伝える。暫時後、もし雨降っていたら主人が車で送りますと申してますので、気楽に休んでいて下さいの電話あり。10kmや20kmの距離でなく、往復するとむつ市でも50km、野辺地だと160km越える距離には恐縮する。

下北の旅初日、歩く若者との出会い。

2006.09.27
下北半島めぐり3日間サイクリングの旅。大人の休日倶楽部と合せて計画したので、交通費はめちゃ安の『大人の休日パス』利用、この切符3日間JR東日本管内乗降りオールフリー、もっとも下北半島内にJR線ないので、切符使用は往復のみだがそれでも超お徳、利用しなければ損といった感じ。

たてた計画3日間500kmよく考えれが走れるわけが無いぜ、初日自宅から出発地青森県野辺地まで、移動に新幹線と特急乗り継いで5時間半の乗車時間は、乗物疲労が加わり秋の日暮れも早く100kmがせいぜい、残る2日間まともに走れるのは中日だけ、ラストも八戸からの帰宅になるので200kmはきびしく、大宮下車で深夜ラン予定の無理計画だったの。

野辺地着11時半、まずは昼飯と駅前見渡すも地の食堂見当たらず、駅横の喫茶と食事の店は好みに合わずパス、走った先で飛び込みとスタートし暫時走るとありました、値段だけは立派な割りに中味貧弱はがっくり。

尾根幹と似た感じのアップダウン路が続く、これが国道279むつはまなすライン。道の駅『よこはま』でトイレ休憩したが、ここで出会った埼玉県秩父からのウオーキングの若者、動機は『自分を見つめ直したい』すでに歩き続けて2ヶ月ほど、こ奴のリュックの重さたるや20kgを越える重量、非力爺には持ち上がらなかった。1日20km~30km遅々の歩み、PCもHPも一切嫌いでアナログ日記で記録してるそうな。

今時稀有な若者に僅かなカンパあげたら、声も出せない感動伝わり、世の中冷たくなったのだなあと感じた。一昔前はこういう若年には愛の手がたくさん差し伸べられたのに…今はなあ

本日は歩け歩け青年と出会えたのが最大の収穫、彼とは何年後かにぜひもう一度会いたい。

みんな速くなったなあ、嬉しいわ。

2006.09.24
蓼科ロング当日を想定し、亀班は甲州街道大月から禾生周りで雛鶴峠越えのまんじゅう屋。
鶴、ウサギ班は秋山村道直進禾生付きぬけ、大幡峠戻りの雛鶴峠越えのまんじゅう屋休憩。両班共にいつもの雛鶴よりは距離ありハードだったが、皆の脚力予想以上に向上しており当日まず問題ないとみた(1人を除き)。一泊ロングランは互助会ランなので皆で協力しあって全員完走目指そうな。

俺っちも毎日100km以上、4日間連走の割りに走ると足回り、競走モードになると結構がんばれる。帰路大垂水峠で前門の虎、後門の狼状態になったが難儀する事も無く切り抜けた。後方くの一が勝負前から気合負けしては、勘定奉行必死のがんばりも空しいわ。どうしたくの一の字。

明日早朝成田エキスプレス、はやて、白鳥と乗り継ぎ野辺地下車、下北半島3日間の旅で力走してくる。無理っぽいが月間3000km達成まだ諦めてないぞ。

本日まで月間18日間走って2.166km、残りは6日間で834kmみんなどう思う?
ちなみに下北半島ツアーは500kmが目標。これが達成出来れば見通し明るいのだが、さてどうなりますやら結果は木曜日に知らせるわ。

帳尻合せのサイクリング。

2006.09.23
先日事故発生がためJCRC役員会があり、これに出席するため早朝Jyun出勤の車に輪行で便乗都心へ。新宿近くで下車しレーサーに乗り換え、山手通りを池袋に向かった。祭日土曜日会社は軒並み休みのはずが、都心は車と信号多く走るに難儀、幸い時間は余裕充分でゆっくり向かった。

実業団車連がBR2、BR3と下に広く包括した大会運営を定着させたので、JCRCの上位級を卒業扱いにし、上位級が占めていた時間を下位級に回し、安全性高い小人数制のレース展開すれば、新規参加者が容易に参加できる。JCRCの原点は底辺選手にやさしい大会運営、最近原点を忘れているのではと指摘、来期から軌道修正し大会運営する意欲表明の理事長の組織継続の意志を了承散会。

池袋11時過ぎに走り出し、川越街道を正丸峠目指すも祝祭土曜が為か定かでないが超混雑の車列、どこまで走っても渋滞緩和されるどころか輪を掛ける状況に嫌気、新座目前空いてる道にエスケープも暫く走るとこちらも同じく。更に右折で空いてる道に進路変更、あちこち迷走しながら見覚えある小金井街道、『竹乃屋』昼飯頭に浮かび調布方面へ、偶にはこんな事もあるのか突然目の前に見覚えある多摩川原橋は超ラッキーだった。

『うな重』食べ70kmのメーター尾根幹線回りだけでは距離足りず、鶴川、小野路と迂回から府中四谷橋、日野橋、拝島橋でもまだ不足、そうかそうかと思いつき創価大、工学院大と大迂回して帰宅。やっとの事でメーター100kmを越える。

朝早起きが応え5時前帰宅するも、すぐ眠さに耐えられずベッドへGO!夢の中電話ベル音耳にするも応答気力もなく放置、2時間ほど全く無我の世界だった。

走行102km。 走行時間5時間3分。 AV20km。 今月の走行総距離1940km。 残7日。
3000kmはありえないが、月間記録更新は確実の状況。総裁選の票読み??じゃないって。
 

相棒パソ君ストレスになる。

2006.09.22
早起き苦手で早朝からの遠乗り計画は、絵に描いた餅になることが多い。無理せず今日は9時頃出かける予定でまずはPC前に座り仕事、とう~ん画面フリーズじゃん、PCストレスに四苦八苦して修復できたら正午過ぎ。腹減って冷凍うどん解凍し、とろろ昆布ころ玉にして腹に収める。

勝負服?着てライト取り付け、目指すは100kmコース大垂水峠、大月、禾生、雛鶴峠、秋山道、相模湖、大垂水峠から自宅へ戻る蓼科ランコースをE班スピードで無くおきなわレース想定の走り。

高尾山口1時ジャスト発、大垂水峠頂上までの5km12分45秒。30年ほど前クラブでのRTTのタイムとほぼ同じ、って言う事は俺っち41歳じゃん。まだまだ若いけんこれならいけるぜえ。

それからが大変トラック追いかけ、流してはダッシュの繰り返しで禾生。おむすびや3時でシャッター閉まり補給食買えず、雛鶴峠手前で『温かい茶』1缶飲む。力走中の峠途中でEeeラン仲間から、立て続け2本の着電受けペース乱される。最近仲間も忍法覚えたのかな、千葉でも痛い着電にかく乱されたが、参った参った皆の衆まで技師になりおって…

昔クラブに居たプロスキーヤー、毎日の周回コース練習で大垂水峠5kmを計測、今日は何分、昨日はと記帳していた、ずぼらな俺っちタイム計測する走りを嫌い、気ままに踏み込みたい時だけ踏みこみ、毎日毎回と言う勤勉な走りに程遠く、気まま流で終始したが、長続きの秘訣は実はこれがポイントかも。

明るいうちに大垂水峠を越えたいと思ってたが、4時45分頂上を越えたがラップ28km/hで30km/hに届かなかった。戦闘モードは道中小用もせず帰宅よ。
途中5箇所工事中で片側交互通行、高尾山口1時~3時55分だった。

走行108.5km。 時間4時間18分15秒。 AV25.2km

見ない、読まない、眺めない。

2006.09.21
前日の予定では本日は早朝6時出発の200kmコースだったが、7時過ぎ目覚めで計画パー。この3日間の完全休養ボケーってのんびり過ごせたわけでなく、頭脳労働に終始が?老化体に結構こたえようで、快適な目覚めにほど遠かった。

朝飯は昨日夕食でたんのうした『富山の鱒ずし』2パック目、汁も『富山のとろろ昆布汁』これ俺っちの大好物。税理士先生様が、我が家訪問する際必ず持参してくれる手土産、先生の来訪は嬉しくないが手土産は歓迎。とにかく美味い、で今回の蓼科ラン帰路弁当はこれに決め発注済みだあ、悦べ皆の衆。神さん曰く、あんたは好きでも嫌いな人もいるかもよだって、でもな、万人に合せる事は土台無理なこと、腹減れば嫌いも好きも無い、当日は腹減らさせてやるわ。

大人達が戦に命を賭けていた『大和魂』の時代、少年期で飢えと戦った俺っち世代を見習え。飽食過保護時代のひ弱世代には想像もできない時代だったんだ。化学調味料に汚染された味覚には、アメリカが喜ぶ『牛丼』が最高かもな、爺さんにはとても理解できない悲しい現実。

話は脱線、『日輪』も脱線。JR九州の赤い特急には何度も乗車してるが、竜巻とは災難だったな、気象までアメリカナイズで日本の未来はどうなる。俺っちの3000kmはどうなる、そんな事知るかクソ爺、で本日走行120kmだけ、『うな重』付き5時間の楽しみだった。

走り足らん分はブログで解消したので、見るな読むな眺めるなストレスが溜まるだけだぞ。

悪夢のような3日間終わる。

2006.09.20
苦走3日間の旅なら全然我慢もするけど、書類と数字の格闘3日間はいけません。しかも、初日は台風の影響で雨模様で諦めもついたが、2日目はそこそこ天気、3日目は夏が戻ったかのような絶好天気、あゝそれなのに、3日間もPC前で作業続けるようになろうとは、思ってもみなかったわい。

しかも、2日間に渡って税理士先生の来訪受け、春先に戻って誤記を指摘され訂正作業させられるとは考えても居なかったわ。毎月データー渡しているのにどうして春先に戻るのか、文句のひとつもも言いたくなるわい。

倉庫満杯のロングラン用飲料水、じゃまになるだろうと監督が集荷に来てくれ積載、いつもこの人の配慮には大感謝だい。八百屋にバナナ発注おにぎり屋、餅菓子屋と駆け回り、部屋割り表作成してすべて終了ああしんど。

参加費払って参加するだけは楽だが、目に見えない裏方作業は大変なのよ。JCRC結成し走る立場から走らせる側に転じた時、レース開催に至るまでの裏作業の煩雑さに愕然とした思いがある。思い返すと俺っち50代後半からの青春?すべてを捧げてしまったなあ。

とても一人でこなせる作業量ではなかったが、楽しんでくれる参加者から送られるパワーが、信じられない力を与えてくれたのではと思っている。事故発生で後継者が今苦境に立たされている、業界人ではない彼には厳しい試練、皆の熱意で支え元気パワー送ってや。

で俺っちストレス解消は、来週2泊3日で“大人の休日倶楽部パス”利用して下北半島サイクリングだあ。文句あんか・・・

今日はおとなしく仕事したよ。

2006.09.18
台風通過で朝方雨に練習断念。仕事放置で遊びに熱中を少し修正せねばと、まずは残した仕事を片付けようと記帳すませる。房総走ってた時税理士から着信、多分帳簿類が必要と判断返信しなかったがこれでOKだわ。日時近くなったので蓼科ラン案内も送らねば、と参加案内作成参加者名簿の確認と結構忙しい一日だったな。

止んだと思った雨また降り出し諦めがついたが、もし晴れたらPC前で作業続けられたか疑問だった。メーター眺めたら、今月昨日までの17日間で1717km、月間3000kmペースではあるが残る12日間で1300kmは少々きびしい。今日の休みは痛かったかも。

どうしてこんなに夢中で走りこむのかというと、ツール・ド・おきなわ80km参加が決まり、昨年の足きり失格のリベンジだけでなく、今年のレースは結果を出す走りを念願しているから。来月に入ったら練習量落とし、レース当日に結果が出せる体調に仕上げるつもりだ。

ほぼ20年前ツール・ド・ジャパン千葉ステージ90kmでV宣言参加、念願達成した時52歳だった。今度は71歳で沖縄80km挑戦だと。成せばなる何事も…って言うけど、傍から見ると爺さま気でも狂ったかって思うだろうな、本人正気なんだけれど。でもなあ、半世紀も走リ続けてると、自分の脚力がどの程度かはようわかるのさ。

房総ソロラン 第三日目(9月16日)。

2006.09.17
二晩連続のマッサーが効いたか快眠も寝坊。8時に出発したかったが目覚めたのが8時過ぎ、朝食バイキング食べ返送荷物を梱包あれこれ手間取りホテル出たのが9時半よ。

250kmほど走るロング暗くなるのは覚悟の上だが、余裕持って出発したかった。蓮沼で九十九里浜に出て県道30号線を白子、一宮から国道128大原、勝浦、鴨川、館山、富津の房総半島はその昔二度走っているがソロは今回が初。前日と大違い足取り軽く好ペースのまま大原で休憩。ドリンクしながらマッサーの差し入れ栗蒸し羊かん食べる。

地図を梱包荷物に同封してしまったので、正午過ぎ御宿でJR駅に立ち寄って料金表と行き先地名を読む。鴨川で1時半館山回りを断念、内陸横断の長狭街道を保田に向かう。浜金谷3時到着したフェリーにスムースに乗船3時25分出港。自転車付き料金¥920.30分の乗船で久里浜。

船内で麦茶飲み栗蒸し羊かんの残りを食べ、物足りないのでサンドイッチも。4時過ぎ下船そのまま横須賀から16号、横浜浜松町の陸橋を明るいうちに抜けたいので急ぐ。陸橋を40km/hで通過は5時半。ここからは勝手知った我が家の道も同然、超混雑車渋滞の脇を通過無事7時半過ぎ帰着。

3日間ほぼ予定通り走れ満足。
走行217km。 8時間7分。 AV26.6km。 

房総ソロラン 第二日目(9月15日)。

2006.09.17
9時過ぎホテルから地図眺め、いつもと違う道路を走り下総FP公園に向かう。公園事務所に立ち寄り、来春の運動会コース借用を申込、コース2周走って路面劣化を体感。何でもメンテは大切なことを実感。

神崎から利根川沿道の国道356バイパスは以前走った事あるので、国道下に並走する農道を銚子方面に向かう、車は全く来ず快走できたが脚重い感じ。農道末端からは土手上の大利根CRにコース変更、利根川水面から対岸景観快適も、横風強く車体斜めに進行路面も悪く走行体感は良くなかったが、自転車も歩行者もほぼ無しは気楽。途中にあった管理事務所でドリンク休憩、資料館にはPCもあり無人暫時資料眺める。

国道へ戻り銚子目指すと『うなぎ』のれんの食堂、銚子で魚食べるつもりで一度通過したが戻って注文。¥1300.一品のみで選択余地無し、しまったと思うも、ママさんショップ売上に協力もよかろうと諦める。スーパーの蒲焼をそのままご飯の上に乗せたような『うな重』で腹ふくれたら、銚子から九十九里浜走る気力失い、地図広げ帰り道思案。

と女将から何処に行くのか問われ、委細話すと、東総広域農道が走りやすいのではと図面書いて教えてくれ、居合わせた常連客までも加わりあれこれアドバイスあり、何やら縁台将棋の様相にヒートアップ。あまり色々教えられると、アバウトヒデ爺わかりませ~んです、ハイ。

田舎の人は親切で結構、また来たら寄ってねの言葉確り受け止め、お礼に携帯から俺っちのストラップアクセサリー外しプレゼント。東総広域農道ほんと素晴らしかった、ありがとうね。

ホテル近いはずの柴山からのホテルがめちゃ遠かった。俺って実に無駄な走りが多いねえ、でも距離伸びたからまあいいか。夕飯は昼の埋め合わせとばかり、ホテル食堂で中華料理オーダーも食べきれず。

走行127km。 5時間35分。 AV22.7km。

房総ソロラン 第一日目(9月14日)。

2006.09.16
先頃伊豆半島を走ったので、房総半島も走らねばとは思っていたところ。
月間3000km走る目標掲げた今月、連日の走りこみから疲労蓄積して思いついたのは、定宿成田ビューホテルに連泊し、20年来お世話になっている専属マッサ名手の治療受け、ホテルまで遠回りして往復し、滞在中日は銚子方面向かえば、平地で距離も伸ばせそう、これは名案と自画自賛。

早速マッサーに連絡すると水曜公休で、予約入れたのが木曜と金曜日。これでは土曜ランに参加できないと後で気づくも、大人の集まり過保護に過ぎる、たまには勝手に走れと放置に決める。

雨模様ぐずついてた天気も、出かける当日朝からの雨昼からあがる予報。頃合見計り出発したのは小降りになった11時過ぎ。走ったコースは八王子から川崎までは多摩CRと堤通り、アクアラングバス輪行で木更津へ渡り、R409房総横断道路茂原、東金、八街、富里、成田。地図上はほぼ直線路で迷わなかったが、例によって木更津駅前からのスタートと暗くなってからの成田のホテルへの道で大迷い。

それより大失敗は、木更津駅前で輪行組み立て後、飲食したごみをゴミゴミ箱に捨てたが、一緒にサングラスも捨ててしまい、気づき取り戻すに急ハンドル切り転倒、膝頭擦り傷血が吹き出る。持ち合わせたウエットティッシュが役立った。

アクアランクバス乗客はエアポートバスと違って、大荷物持ち込まないので、ハイデッカー車の床下収納庫は貸切状態。料金は¥1.400.

走行144km。 6時間1分。 AV23.8km。






雨でも走る。

2006.09.12
疲れたまり昨日完全休養で走らなかったので、今日は存分に走りこむ気でいたら朝から雨じゃん。あれこれ用事片付け、泥除け取り付け合羽着て家出たら昼。

何処行くかなあ~は、昼飯前で腹減っていたので『竹乃屋うな重』思いつき、定番コース走って2時到着なら頃合だろと、甲州街道高尾左折で町田街道へ。館ケ丘信号からの下りからダンプ2台後方走り、当然川尻、小倉橋コースと思いや、そのまま町田街道驀進にならば俺っちも…だったが、ダンプちゃん相原信号16号へ右折は幹線道路これは見送り。

ブレーキランプに全神経集中走から開放されリラックスラン。多摩境駅脇から尾根幹線へ抜け、再度目標得て脚併せて信号待ち、先行発進待機も目標現れずの見込み違い。降り続く雨も尻は濡れず、座敷で座布団濡らす心配なしと安心も、びしょ濡れシューズは脱げないと気づく、『竹乃屋』は入れないよ~と気づき、矢野口で川崎街道を登戸方面へ右折。

登戸から世田谷通りへ左折多摩水道橋は渡らず、『竹乃屋』対岸を立川方面へ戻り、抜かれた大型車猛追走成り調布橋、この追走には大満足。信号待ちを歩道から左折矢野口突き抜け先刻来た道を戻る。新しく出来た広い路面中央車線走るダンプに併せ、遠く離れた路側帯から追走続け、信号発着繰り返しながら狭い鶴川街道へ先行。

暫時待機走もダンプ姿無く集中解除、真光寺十字路右折小野路で鎌倉街道逆走し、今井谷戸信号で気づき大戻り、尾根幹線から唐木田、別所、堀の内から野遠峠越え、氷見売店『鱒すし』売り切れにがっくり、八王子市内で昼飯『うな重』口にしたのは4時半だった。

腹ふくれ帰宅、汚れた自転車掃除チェンに注油、部屋でお茶飲みホッと一息も放心状態、我が顔眺めた神さんから『少し眠りなさい』と言われそのまま寝室直行。夢も見ない桃源郷から目覚め頭脳明晰心身爽快よかよか。
そう言えば、雨中合羽も着ない(たまたまこの時止んでた)で練習中のライダーに鎌倉街道で出合ったぜ。同病相哀れむじゃない、同士お主もやるのう。俺っち、また雨でも明日も走るぜ。

本日9月12日まで9月の12日間、走った日数10日間で1100km。

楽しむためには他人に配慮を望む。

2006.09.10
家老、酔いどれ侍、テクシーから昇格したテクノボーラー等重臣達一向、昨日から御宿砦へ出向して不在。で、うさぎ班は口も足もよく回り、只今絶好調の殿と勘定奉行が代役こなしたが、フリーラン秋山道で九の一クランクねじ緩みで、勘定奉行はエスコートしてのお帰りとなる。

トイレ休憩で往路利用している相模湖駅も、無秩序にレーサー並べてはバス乗客に悪いでえ。バス乗客に迷惑及ぼさないよう配慮しないと、休憩場所として利用できなくなる。レーサーは線路側金網に立て掛けて、整然と並べるよう心がけよう。これまででたらめ過ぎたよ。

帰路での高尾山口駅前ラスト休憩は、次回から綾南公園に場所変更とし皆で場所確認した。こちらの方が他人に気遣いせず休める適所、レーサー置き場所は次回現地で再確認しよう。

参加者が多くなっているのであれこれ問題発生してるが、キーは自分が相手だったらどう考えるか、だな。各自が相手の立場でものを考える事で解決できる。サイクリングは常にキープレフトが基本、大集団時は特に意識して走ること。

9月に入って9日間連チャン、1000km越える距離走ったが、暑さも加わり疲労残っているので、今日はリラックスランに終始した。残暑って奴なんだろうな、今日はめちゃ暑かったのう。

暑さもこれが最後だと思うが、皆もよう走るなあ感心するぜえ。もしかして俺っちの病気が伝染したりして…ごめんな不治の病なの。

亀々ラン よこはま中華街。

2006.09.09
前日ソロで和田峠に向かったが、小手調べで迂回走行した
戸沢峠で?川原宿右折陣馬街道に入ると、僅かな上り勾配続く路面が足に重く、ロングランの疲労残ってるなと感じ無理せず、和田峠を断念して陣馬下からひき帰し。

土曜亀々ラン朝、家出るとき生憎雨に合羽着用、日野台過ぎ雨止むもそのまま集合場所へ。昨日の今日で山方面へは向かいたくないので、開口一番行き先『横浜中華街』を決める。

亀々ランにしてはやや長距離だが俺っちには距離稼ぎの目的あり、仲間には途中流れ解散になるので、距離短くすむので良かったのでは…

亀々ランと言ってもお荷物になるようなメンバー見当たらず、そこそこのスピードで先導できイージー。登戸でトイレ休憩後は多摩CRを走って一国から横浜に入る。

最近の横浜は変貌し整形手術後の女性のよう、山下公園も自転車乗り入れ禁止標識あり、昼時でもありそのまま中華街へ直行。

いつも行く店。美味いわけではないので、店の名前も覚えていないわ、場所覚えもい~加減で迷いながらの到着。この店大事な自転車を特別駐輪できる、得難さだけで利用している店なの。

『横浜中華街』には集団で入れない、小さなな店にお奨め店が多い。少人数で行ったら小さな店を選び好みのお店を探すがよか。

ってなわけで9日経過し900km走り、月3000kmペースだが、下半身が痺れている感じだぜ、明日もあるし こりや参ったなあ。

9月7日 蓼科試走ラン 後編。

2006.09.08
掛け流し露天風呂に二度浸かり疲労回復、7時前に目覚めるも土砂降り。朝食すませ出発の9時になると、ラッキーにも雨上がり七里岩ラインを一路韮崎目指しGO!

長坂辺りで前方から仲間の姿、誰かと思いや姉姫夫妻よ、これには互いにビックリしたなあ。夫婦で試走とは仲睦ましく結構ですなあ。

さわやかな高原の空気を満喫しながら、エースのオロチを気遣い走ったのは最初だけ、竜王『響』で昼飯『天もり』そば、勝沼『公果園』で小休止後は時間無くなり、笹子旧道はパスしてトンネル直進。

トンネル内からアップペースの殿に、爺と家老が加わりいつもの展開、初狩で片側通行工事中信号待ちで渋滞を、歩道走って抜けた乱心殿を車列後方から見送る。

渋滞する大月市内は迂回路で抜け、鳥沢市内でダンプ目にするも下り勾配続く先を読み見送り、本日はこれで終わったなと判断以後ペース落として走る。社長、J店社員にが相次いで抜かれるも追わず、甲斐侍も見送り完全クールダウン走。

藤野から意欲回復再度トライも相模湖湖畔43km/hが限度で千切れ、ラスト大垂水峠も頂上寸前でスパートも28km/hで終わった。高尾山口でオロチ到着を待ち解散、八王子市内を高速巡航辛うじて日没前に帰宅できた。

郵便物整理記帳処理すませるとむやみに眠くなり、そのままベッドへ直行2時間ほど夢の世界。晩飯食べ前編アップ、風呂に入ってのち後編仕上げる。明日も走るぞ。

2日間の走行距離338km。 走行時間14時間。 AV24km。

体重54.9kg。 体脂肪7.1%。 内臓脂肪1%。 期肉量48.3kg。 基礎代謝1349カロリー。

 

蓼科試走ラン 前編

2006.09.08
6日(水)朝7時半合羽着た状態で集合、蓼科試走ラン開始もスタート直後に社長パンク。社長パンクじゃ会社倒産こりゃあ前途多難かと思った?なに何大丈夫この会社クソ爺会長はちゃめちゃ元気。続く家老も更に元気パワーあふれ、言っちゃあ悪いがノー天気殿まで負けづに超元気。

大垂水峠越えると次第に天気良くなり合羽不要になる。秋の空は気まぐれ、世の中一寸先は闇だね。秋山道ダンプ使った爺が殿とじゃれ合い開始、無駄脚使って雛鶴まんじゅう屋にたどり着いたが、9時前なのに『大まんじゅう』出来あがりには満足じゃ。

オロチの後で雛鶴峠はひと休み、下りで鬱憤晴らしにペース上げ、禾生信号で待ってた集団に合流も大幡峠で大バラケ、またも社長パンク雨も降りだし坂でオロチは遅れるわ、と状況思わしくなく笹子は旧道パスしてトンネル通過。

オロチに続いてトンネル抜けた下り、何処にも待ってくれる仲間の姿見えず、道が下っているとオロチも何故か元気、合羽脱いでいる間に遠く先まで逃げられ間隔開いたまま、そのうち外側車線通過したタンクローリーが内側に車線変更、信号待ちから発進をチャンスと捉え急追オロチ見捨てる。タンクローリー使ってで高速追走続けるも、集団影も見えず変だなあと思ったら、彼らも同じ様な走りしてたとはなあ、どんと遅れのオロチ待つ無情な男侍集団、サポート車の姫君とマルタの節ちゃん二人の女性にはどう映ったかね。

更に無情な追い討ちは、遅れたオロチ連れ『蔦木宿』でドリンクと思いきや、時間無いから出発じゃとは殿、敬老精神に欠けるちゅうの。富士見でオロチ車上の檻に閉じ込め殿、社長と俺っち3人になってからのペースアップはさながらレース殿もなかなかやるのう。

問題のホテル手前4km登坂路、蔦木でドリンクタイム取り上げられたので、喉の乾き癒してお店の中でアイス食べながら、皆の苦走する姿眺め嬉しくなった。みんな休めばいいのにがんばるじゃん。
・・・続く(とりあえず風呂に入るで)

計算合わせ始めたぜえ。

2006.09.05
あれこれ仕事片付け昼直前家を後にする。信号待ちで鉄柱に手を置いたら熱いの、暑い真昼なのでと思ったら、9月では6年ぶりの猛暑で37℃あったとか。今日は走るコースと昼飯うな重決定で、俺っちの定番コース相模川沿道へ向かったが、アプローチは片倉、南野、グリーンタウンといつもと違う路上からコースへ向かった。

折りよく通過したトレーラー目標に走り、軽いアップダウン幾つか越えた後、砕石工場前の坂も51km/h余裕で追走のまま高田橋。ここ左折なので減速しながら、そのまま直進のトレーラ一瞬見送るも、突然気変わり再度の猛追、マーク取って昭和橋まで追走続行。59km/hで52×15で足遊ぶ回転力には満足したな。若い頃の回転力戻るも、残念なのは持続力無くすぐ心拍一杯になるも、回復速いのでEeeラン相手ならこれでも通用しちゃうわい。七十爺さんが戦闘モードに突入、この勢いもう誰にも止められない。

上溝たい焼き屋で『トコロテン』食べようとしたら休業、尾根幹線入って激走数回も昨日と大違いの脚色、調布多摩川『竹乃屋』到着も3時を大きく回って、吊れない準備中の看板にがっくり。

次なる目標20km先にある、北野のうなぎ屋に向かって多摩川CRを黙々と走り、満足できたものの走行距離80km。家まで5kmじゃ距離が足らんと、食後のクールダウン兼ね北野街道狭間から、高尾に出る遠回り大迂回の計算合わせで帰宅も95km。
100kmに満たなかったが走行4日間で400km達成はできた。

出発前と帰宅後に飲む茶碗一杯の水、世界最高金賞『龍泉洞の水』の美味さは最高だ。お爺なのでコップではなく、茶碗に注ぎ息つかずに飲み干す水のうまさ、呑み助が飲む『ビール』味も多分こんな感じかな~あと想像しちゃうよ。

明日と明後日は蓼科試走ランなので、2日間で300km以上走るので、とりあえずここ順調で9月7日で700kmは月間3000kmペースにはなるが、後が続くかなあ…

迷走も100kmに及ばず。

2006.09.04
昼近くになり出かけるも行き先決まらぬまま走ると、信号と車の流れに合わせたら五日市方面に向かってた。信号待ちダンプ後方に入ると発進、行き先お任せとマーク決めるも圏央道工事現場に逃げられ、そのまま小峰トンネル越え五日市駅脇に出る。駅裏に回り込み走ったこと無い小道に入り、どこかに抜けるだろうと判断そのままGO!も裏目。

山中に似つかわしくないど広い舗装路も、やがて狭路になり『この先行き止まり』の看板目にする、無視して走ること暫時で未舗装山道、決して戻らぬ爺さんも止む無く戻る羽目。戻る途中でまた別道選択したので、違う場所に出るも勝手知った五日市街中。

改めて正攻法で梅が谷峠から吉野街道にでる、古里方面に向かいながら昼時、腹も減ってきたので『そば』でも食べるかと思えど、相談したかのように目当てのお店すべて本日休業。食べたいとスイッチ入ったので、無性に食べたくなって往生、この先古里方面は食べるところ無し、青梅市内なら開いてる店もあろうかと御岳橋でユーターン。

青梅へ向かう途中で発見の『手打ちそば』のぼりに吸い込まれるも、腹減っているというのに、油ぽい天ぷらと盛りの少なさにはビックリしたな。体調悪いと食べるものも不味いのは仕方ないが、贔屓目に見てもお客に出せる天ぷらではないよ。素材が泣くわ。

食べ物不味いと脚まで回らなくなる感じ、食後よろよろ走って青梅から瑞穂、日野橋と遠回りCRを拝島まで流し、拝島橋16号線歩道走って坂を越え、車少ない迂回路で大回りしての帰宅も100kmに足らず。3日間走ってやっと300km、距離の割りに疲労感強し。ダメボ。

走った日も考えてみる。

2006.09.03
昨日と今日の二日間Eeeランで走ったのが約200km。月初め雨天で骨休みしているので、三日間で200kmでは一ヶ月2000kmペースじゃん。これじゃ先月並みが限度、月3000kmオーバーは簡単ではないぜ。大言壮語しちやったわい、これじゃゲバ娘に言われるか分からん。前月を僅かでもオーバーするのが目標と訂正じゃ。

雛鶴までのフリーラン区間、後方からやって来たローテ走行の家老集団追い、いたずらしてやれと攻撃開始、殿の幻惑戦法に乗るなの静止も空しく、術中はまり集団崩壊させるも、俺っちもまたまんじゅう屋過ぎると大失速も、我が身を捨てて目的達成に満足。やったぜ殿~

七十過ぎた爺のやる事かよの声聞こえるが、俺っち役目は皆に火をつけることなのじゃ。ウッシシ~

Eeeラン誕生皆それなりに脚力向上も、一番向上したのは会長だよって言われたが、俺っちも自分自身驚いている。好調の原因は何かと考えると、月間新記録の練習量もあるが、体重の減量化も勿論だが、春先から使用しているビンディングペダルによる、パワーロス無いペダリングが物言っていると思う。

Wレバーで充分と考えていたら、グリップでの変速を体験し、それまで脚が変速機だった部分があった事を実感。今また、トークリップからビンディングで格段の効率向上を知り、自転車の機構進歩向上に舌を巻いている、長生きすると新しい体験が出来楽しい。

イタリアンオーダーフレームの鋭い加速性能には満足している、その昔、長い間愛用したアルミ製『アラン』、車体が柔らかく乗ってて疲れなかったが、加速性能の悪さは論外だった。必死になってペダル回してた思いがある。

往路のバトル走行で疲れたので帰り大垂水峠はのんびりのつもりが、思いがけず後方から現れたチームジャージと、俺っちと知って後方から仕掛けてきた若者相手に、頂上までバトル繰り返すとは夢にも思わなかった。でも終わってみたら楽しかった、ありがとう二人の兄ちゃんまた挑戦してな。

雨の日は考える日。

2006.09.01
月が変わった初日雨じゃん。出鼻挫かれた感じだが疲労感もあるので、丁度良い骨休みかも…って考え、本日はサイクリングホリデイだい。

8月分の帳簿整理を終えてしまえば、遊びに集中できこれまた結構とPC前で終日過ごし、月末実施のロングラン部屋割り等も併せ終了、これが今日の日課って決めながら、最初にブログからではやる順序ちがうだろうって…まあいいって、俺っちの勝手じゃ。

9月になったばかりというのに、雨降ると気温低くもう夏は過ぎた感じ、月末の蓼科高原は涼風に寒さを覚える気候かと思う、四季のある日本は素晴らしい国土だ、大事に守らねばならぬ自然環境に目を向けないと罰があたるぜ。
肥沃な国土に住む恵まれた民族としての感謝が足りない、先人たちが残した文化を後世に引き継がせるために、自分が出来ることは‥ってな事を考える年齢になってしまったな。

数日前先日Eeeランで立ち寄った『そば屋』、たまたま90歳のおじいちゃんの内祝いとかで、赤飯お相伴に与り返礼せずそのままを思い出し、俺っちキャラクターピンズ持ち立ち寄った。

ご本人から満州事変から、支那事変、大東亜戦争と各地を転戦し青春を軍隊で過ごした昔話伺ったが、悲惨な戦争体験も後世に伝えるのも義務だな。ボルネオで終戦を迎えアメリカの船で復員したが、船中でこのままアメリカに送られ使役に使われる、奴隷が運命かと皆で話し合ったそうな。ソ連とアメリカの捕虜では天地の差が生じた事も、歴史的事実として認識しておかねば…

今日は堅い話ですまなかった。堅い話の後はか柔らかな身体にする体操が良い。筋肉のパワー発揮には柔らかな身体づくりが肝要、硬い身体は転んでも怪我しやすい、走る合間に身体を柔らかくする工夫もしような。

どんな体操すればよいだって、アホ自分で考えろ。
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